ギャグ×人情…吉本新喜劇座長・酒井藍と作家・鳴瀬冨三子「コテコテ」体現
アホみたいに笑えて、でも、なんかええ話――。2人には、それが新喜劇の芯だという共通認識がある。酒井は「私の脳みそだけだったら、とっくに奈良の実家に逃げ帰ってる」と照れたように笑う。 鳴瀬が大事にしているのは、師匠の「芸人さんは芝居で面白くするのが仕事。作家は土台を書くのが仕事」という言葉だ。「話の筋をちゃんと書かせてもらったら後は芸人さんにお任せ。もっと面白くしてくれますから。2人で一つの作品を作っているんです」(池内亜希)
稽古は初日前夜から
うめだ花月劇場の開設とともに産声を上げた新喜劇。1作目は、花登筐(こばこ)作の「アチャコの迷月赤城山」で、花菱アチャコや大村崑らが出演した。 岡八朗に花紀京、間寛平らスターを輩出したが、次第に人気は低迷。1989年には、観客数が目標に達しなければ新喜劇を解散する一か八かの「やめよッカナ?キャンペーン」を仕掛け、再興を果たした。「かいーの」や「……じゃあーりませんか」など、生まれたギャグは数知れない。 現在の座員は、ゼネラルマネジャーの間を含め111人。酒井とすっちー、アキ、吉田裕の4人が座長を務め、1週間交代で公演をする。台本が届くのは1週間前、実質的な稽古は初日前夜の数時間だけだ。 酒井は、「短い稽古で仕上がるのは、皆さんに長年培ったものがあるから。万が一セリフを忘れても、誰かが助けてくれるのが新喜劇」と笑った。