『マッドマックス:フュリオサ』フュリオサの瞳、孤高のシルエット
明晰なアクション
どうやったらこのような破天荒なアクションを組み立てることができるのか?という質問に対して、親指をサムズアップさせ、単純明快な説明をしている。オーディエンスの視点を一点に集中させることだと。ジョージ・ミラーの映画にはアクションの明晰さがある。フュリオサが巨大なウォータンクに潜伏する長く熱狂的なアクションシーンは前作を彷彿させる。このアクションシーンにおけるフュリオサの画面への収まり方は、アニャ・テイラー=ジョイの持つ往年のハリウッドスターのような雰囲気が相乗効果となり、非常に端正、かつクラシックな映画を見ているような感動を覚える。ジョージ・ミラーは、ケヴィン・ブラウンローの書いた「サイレント映画の黄金時代」に強い影響を受けたことを度々語っているが、このシーンにはまさにサイレント映画のような明快さがある。複雑なアクションであるにも関わらず、オーディエンスの視点を一点に集中させることで、奇跡的な単純さを獲得している。 この熱狂的なアクションシーンで、フュリオサはマックスを彷彿とさせる警護隊長ジャック(トム・バーク)と出会う。フュリオサは危機に瀕した際の判断の正確さを買われ、ジャックから戦い方のすべてを教わる。決してフュリオサの過去を聞こうとしない寡黙なジャックには、アンチヒーローのカッコよさがある。本シリーズ最初の作品『マッドマックス』において、スピードに憑かれたマックスは、警官のバッジが付いてなければ自分も暴走族と何ら変わらないと語っている。このシリーズのキャラクターがとても魅力的なのは、置かれている状況によって正義と悪の境界に揺さぶりがかけられるところだろう。 たとえばディメンタスは同情の余地がない悪であり、フュリオサのすべての憎しみの対象だ。しかしフュリオサには、ディメンタスを潜在的な“父”とする意識が読み取れる。そしてディメンタスはフュリオサに自身の姿を重ねている。闇落ちした同志のように。当然ながらフュリオサがそれを認めることはない。