JR九州の日韓航路撤退「安全を軽視して運航できない」…利用者「便利だったが仕方ない」
船の運航に詳しい神戸大の若林伸和教授は、「運航の安全・安定性を軽視して採算・収益を重視した結果、浸水の隠蔽を招き、事業の撤退に追い込まれたといえる。公共交通機関は、安全が最優先であることは言うまでもなく、少しでもないがしろにすれば、事業は続かないことを改めて肝に銘じるべきだ」と話した。
ピーク時は35万人利用した「黄金航路」
JR九州グループの日韓航路は国鉄民営化約4年後の1991年に開設された。船体が水面から浮いて高速で進む水中翼船「ジェットフォイル」を導入し、カブトムシに似ていたことから「ビートル」と名付けられた船は博多と釜山を約3時間で結んだ。
初期は利用者が低迷したが、2002年のサッカーワールドカップ日韓大会開催や03年の韓国ドラマ放映による韓流ブーム到来などで利用者は増加。ピークの04年度には35万人に達し、「黄金航路」とも呼ばれた。05年に分社化されたJR九州高速船の初代社長・丸山康晴さん(76)は「近くにあるが心理的に遠かった韓国を『近くて近い国』に変えた」と言い切る。
10年代に入り、格安航空会社(LCC)が台頭し、14年度には約17万人とピーク時から半減するなど減少傾向が続いた。こうした中、約57億円をかけて登場したのが「クイーンビートル」だった。定員は、ビートルから倍増となる502人で、運航中にシートベルトを着けずに船旅を楽しめるとうたった。造船中に新型コロナウイルス禍が直撃し、運休が続いたが、22年11月に日韓航路に就航。コロナが収束し、利用者の増加が期待されていた。
JR九州初代社長で日韓航路開設に尽力した石井幸孝さん(92)は、「日韓交流に貢献してきた航路。今後も一定の利用が見込めたのに、こうした問題で廃止になるのは、あまりに無念だ」と語った。