“この先、生きていくための強みが欲しい” 3人の子の母が合格通知に背中押され離婚決意
女性は今は別の仕事に就いているが、仕事と家事育児、大学院生活を乗り越えたことが自信につながった。20代の学友たちは学びながらの出産に驚いていたといい、「人生を見せられたのかもしれない」と話す。 ■合格を手に離婚決意 学んだことで安定した生活を得られた、という人もいた。 西日本に住む40代の女性は就職氷河期に短期大学を卒業した。正社員の仕事になかなか就けず、「ブラックな仕事」に甘んじてきたという。契約社員として食品メーカーに勤めていたときにハラスメントに遭った。うつ症状が出て仕事も家事も手につかなくなったが、上司からは「あなたの代わりはいくらでもいる」と言われたという。 家庭と育児に無関心の夫とは別居。小学生だった3人の子どもたちは「お母さんについていく」と言ってくれたが、経済的な不安があり、離婚に踏み切れなかった。だが失業保険をもらいながら介護の職業訓練を受け、そこで出会った講師から勧められたこともあって看護師の専門学校を目指すことにした。合格通知を得たことに背中を押され、離婚を決めた。 3人の子育てを1人で担いながらの学生生活が始まった。同じ団地に住む保護者に子どもたちの登校の見守りを頼み、早朝から夜まで学校でひたすら勉強した。実家の協力は得られない中で、実習や国家試験対策もしなければならず、女性は当時を「人生で一番がんばった」と振り返る。 一回りほど年下の同級生からは「おかん」と慕われた。女性が必死で学ぶ姿が刺激になったようで、卒業時には「おかんがいたから頑張れた」と声をかけられたという。 専門学校に通った3年間の収入は、ひとり親家庭向けの高等職業訓練促進給付金と、週末と祝日の試食販売のアルバイト代のみ。生活費は常にギリギリで、光熱費が払えずに電気が止まったこともあったという。学費は計400万円以上の奨学金などを借りてやりくりした。 「子ども3人の人生がかかっていた。生きるか死ぬかの崖っぷちという危機感と緊張感で動けた時期でした」