「うまくなるな」寺山修司の教え 高橋ひとみが40年以上第一線で活躍する訳
「もしも、あのとき、あの場所にいなかったら」。そんな人生の転機が高橋ひとみさんにもありました。それは「友人に誘われてオーディションを受ける」ことではなく、その後の一瞬のできごと。人生の岐路をかみしめるインタビューになりました。(全5回中の1回) 【画像】「15歳でこのスタイル!」バレー部時代の高橋ひとみさん「何等身ですか?」ほか(全15枚)
■職人の父から怒られたことは一度もなかった ── お父さんは、大工の棟梁でいらっしゃったそうですね。職人さんのご家族も出入りするにぎやかな家庭だったとか。 高橋さん:職人さんが2~3人いて、そのご家族も一緒に住んでいたので、家のなかはつねににぎやかでしたね。寡黙で職人肌な父でしたが、私にはとにかく優しくて、怒られた記憶が一度もないんです。
そのぶん、母には厳しく育てられました。以前、手相を見てもらったときに、「お父さんは、もうお亡くなりですか?」と聞かれたので、「いえ、まだ元気ですけど…」と伝えたら、「お母さんの影が強すぎて、お父さんが見えない」と言われたくらい(笑)。 大工の朝は早いので、母は外も薄暗いうちから毎日食事の支度をして、みんなのお弁当を作っていました。朝6時に家を出て、18時には晩ご飯、21時には寝るという健康的な生活でした。
── 学生時代は、どんなことに打ち込んでいたのですか? 高橋さん: 中学校から私立の中高一貫のミッション系の学校に進み、バレー部に所属していました。『アタックNo.1』を見て育った世代なので、女子の間でバレーボールが大人気だったんです。 当初、中学校にバレーボール部がなかったので、友人と2人で学校に掛け合ってバレー部を作りました。ただ、できたてのチームなので、めちゃめちゃ弱くて、他校との試合で一度も勝ったことがありませんでした。でも、すごく楽しかったですね。
■オーディション帰りに声をかけてきた寺山さん ── 高校3年生のときに、劇作家の寺山修司さんが演出する舞台のオーディションに合格し、女優としてデビューされました。いつから女優を目指していたのですか? 高橋さん: とくに女優を目指していたわけではなかったんです。幼なじみの友人が夏休みに寺山修司さんの舞台のオーディションを受けるというので、興味本位で一緒に行ったのがきっかけでした。寺山さんのことも“作家の方”くらいの認識しかありませんでしたね。