【光る君へ】最愛の息子・惟規を失って… 紫式部の父「為時」の切なすぎる晩年
息子も娘も失った悲しみ
その後、為時がいつまで生きたのかはわかっていない。ただ、紫式部の一人娘、賢子の歌を集めた『大弐三位集』には、祖父の為時が訪ねてきたときに詠んだという歌が収録されている。 「残りなき このはを見つつ 慰めよ 常ならぬこそ 世の常のこと(木に残り少ない木の葉を見ながら、心を慰めてください。葉が散るように無常なのが、この世の常なのですから)」 為時は次のように返している。 「ながらへば 世の常なさを またや見ん 残る涙も あらじと思へば(長生きをすると、世が無常である様子をふたたび見ることになるのでしょうか。私にはもう流す涙もないと思うのに)」 紫式部の没年は確定していないが、伊井春樹氏は、『小右記』の寛仁4年(1020)9月11日の条に出てくる「太后宮の女房」は、紫式部である可能性が高いと推測している(『紫式部の実像』朝日選書)。そうであれば、賢子がこの歌を詠んだのは、寛仁4年以降ということになるだろう。 「世の常なさを またや見ん」。長男の惟規に続いて、娘の紫式部まで失ってしまった「世の常なさ(世が無常である様子)」を「また(ふたたび)」見ることになった晩年の悲しみが読まれているのではないだろうか。 香原斗志(かはら・とし) 音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。 デイリー新潮編集部
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