平安時代、「娘」は「人」として扱われていた?それとも錬金術のための「道具」だった?【NHK大河『光る君へ』#26】|
【史実解説】伊勢神宮の神さまにお仕えする若き姫たち
飛鳥・奈良時代から約660年にわたって、天皇が交代するたびに斎王(さいおう)が選ばれていました。 伊勢神宮の神さまにお仕えする斎王は天皇の子どもや孫(未婚の女子)の中から占いによって選ばれます。最年少の斎王は2歳と伝わっており、小学生くらいの年齢の女子が選ばれることも多くありました。 斎王に選ばれた女子は俗世界から離れる必要があります。家族と別れ、200人前後の従者とともに斎王群行と呼ばれる旅に出ます。 斎王は斎宮で生活し、世の中の平和を願うことを日々のつとめとします。伊勢神宮で催されるお祭りには年に3回参加しました。 余暇には都で暮らす貴族の女性たちと同じく、貝合わせや盤すごろくで遊んだり、和歌を詠んだりしていたそうですよ。 都に戻った斎宮の多くが静かに余生を過ごしたと伝わっています。結婚した人や尼になった人もいます。 『光る君へ』では道長の娘・彰子の入内が内裏や都で暮らす民のために決まりましたが、史実においても年若くして住み慣れた場所を離れ、世のために自身の使命をまっとうする女たちがいたのです。 ▶つづきの【後編】を読む▶平安貴族たちの出産・育児がよくわかる、『子どもは欲しいけど「出産はけがらわしい」ものだった。授乳も夜泣きも、ぜ~んぶお任せ。平安貴族がうらやましい⁉』 参考資料 斎宮歴史博物館
アメリカ文学研究/ライター 西田梨紗