マイティ井上さんが死去 75歳 国際プロレスで活躍 「和製マットの魔術師」「和製ハイ・フライヤーズ」
国際プロレスのエースで、全日本でも活躍した元プロレスラーのマイティ井上(まいてぃ・いのうえ、本名井上末雄=いのうえ・すえお)さんが27日に死去していたことが28日、分かった。75歳。大阪市出身。 【写真】外国人レスラーの腕を固める在りし日の井上さん 井上さんは柔道とボディービルで体を鍛え、1967年に国際に入門。同年、仙台強戦でデビューした。1970年から1972年まで欧州武者修行。モンスター・ロシモフ(アンドレ・ザ・ジャイアント)と親交を深めた。 帰国後はテクニックとセンス、パワーを併せ持ったファイトスタイルで主力選手に成長した。空中殺法も得意で、サンセット・フリップやフライング・ショルダータックルを武器に、エドワード・カーペンティアにならった「和製マットの魔術師」の異名をとった。 1974年にはスーパースター・ビリー・グラハムを破り、団体最高峰のIWA世界ヘビー級王座を奪取。同年、AWA世界ヘビー級王者のバーン・ガニアとダブルタイトルマッチで引き分けるなど、エースを務めたが、1975年、マッドドッグ・バションに敗れて王座から転落した。 アニマル浜口との名タッグはグレッグ・ガニアとジム・ブランゼルのチームにならった「和製ハイ・フライヤーズ」の異名を取り、IWA世界タッグ王座、全日本のアジアタッグ王座についている。 1981年の国際崩壊後は全日本に移籍し、NWAインターナショナルジュニアヘビー級王座、アジアタッグ王座を獲得するなど渋い存在感を発揮した。1998年に選手を引退し、全日本、ノアでレフェリーを務めたが2010年にレフェリーも引退。宮崎県に転居し、インタビューやトークショーで貴重な証言を多く残した。