知名度はないが最も高性能だった1bit MCU、Motorola MC14500(人知れず消えていったマイナーCPUを語ろう 第14回)
コンピュータの歴史を暗部も含めてていねいに掘り起こすことで定評のある大原雄介さんによる連載14回目。今回取り上げるのは、MotorolaのMC14500。知らない型番という人は多いと思いますが、ある業界では広く使われていた製品です。
PLCとは何か
ということで今月のお題はMotorolaのMC14500。ある種の業界で広く使われた1bit MCUである。 どんな業界かというと、PLC(Programmable Logic Controller)業界である。まずこのPLCというものを簡単にご紹介したい。 PLC、あるいはSequencerなどとも呼ばれる(ちなみにこれは三菱電機の商標だが、三菱以外の製品をSequencerと呼ぶこともある)が、これは現在も広く利用されている。PLCの目的は機器の外部制御である。具体的に言えば、工場におけるラインとか装置の制御である。例えばA・B・Cという3種類の加工装置があり、その間をベルトコンベアD・Eが繋いでいるとしよう。ここで手順は、 (1) Aに(多分手作業で)素材をセット (2) Aで素材を加工 (3) 加工後の素材をDに載せて、Bに移動する (4) Bで追加工を行う (5) 追加工の素材をEに載せて、Cに移動する (6) Cで追々加工を行う (7) 加工完了 といった感じになる。 厳密に言えば、(3)で加工後の素材をDに載せるのは作業員なのか機械なのかとか色々あるのだが、話を簡単にしたいのでここでは機械がやるとしよう。 すると実際の作業員の手順は、 (1) Aに素材をセット (2) Aを稼働させて加工を行う (3) 加工完了後にAを止め、加工後の素材をDに載せる (4) Dを動かして加工後の素材をBまで移動させる (5) Bに加工後の素材をセット (6) Bを稼働させて追加工を行う (7) 追加工完了後にBを止め、追加工後の素材をEに載せる (8) Eを動かして追加工後の素材をCまで移動させる (9) Cに追加工後の素材をセット (10) Cを稼働させて追々加工を行う (11) 追々加工完了後にCを止め、追々加工後の素材を取り出す てな感じになる。 問題はこのA・B・Cという機械とD・Eというベルトコンベア(さらに言えばコンベアに加工後の素材を載せたり、コンベアから素材を取り出して機械に載せたりする装置)は全部別々のメーカーだったり、同じメーカーでも別に連動する機構がついていなかったりする。 そもそもほとんどの工場の場合、製造装置や搬送装置は様々なメーカーのモノが混在するから、「お互いに連携して」なんて事が無い(いや昨今はだいぶ変わりつつあるのだが、PLCが登場した1960年代末期は、連携なんて話は全くなかった)状況だった。 んじゃどうしていたか?というと、機械やら搬送装置やらにものすごく沢山の作業員が張り付いて連携を取っていたのだが、これは当然人件費が高騰することになる。そこで、リレーなどを使って、ラダー回路と呼ばれるものを作成して制御する事が行われていた。 ラダー回路とは、(a)→(b)→(c)→……と、複数の処理を順に並べ、(a)が完了したら(b)に、(b)が完了したら(c)に、という具合に最初に並べた順に随時処理を行う仕組みである。 もうちょっと後になると、機器の制御(例えば温度を一定に保つために、温度センサーと組み合わせて細かく加熱したり止めたりを繰り返す)なんかも機能に入ったりした。 なのだが、このラダー回路、要するに物理的にリレーなり何なりを組み合わせて構成されるから、製造ラインにちょっとした変更が入るだけで修正が超大変(半田ごてを振り回す羽目になる)だし、細かいパラメータの修正も同じくである。 もうちょっと簡単に出来ないか?と言うことでGMが1968年に「電子制御に基づく制御システム」の要望を出し、これにBedford Associatesというコンサルタント会社に在籍していたDick Morley氏が(たまたま考えていた)PLCのアイデアを提案、これが受け入れられることになった。 Morley氏は同僚と一緒に、そのPLCを製品化するModicon(MOdular DIgital CONtrollerの略だそうだ)という会社を1968年に立ち上げ、1969年にModiconのPLCがGMに納入されることになった。ただPLCは勿論GM専用のものではなく他の顧客にも販売されるようになるし、またModiconの成功を見た競合メーカーも当然同種の製品を投入するようになる。 ModiconのPLC(Modicon 084)は16bitのミニコンをベースに構築されており(Photo01)、他社もこれに追従するようになる。 余談になるがModiconはその後Gould Electronicsに買収され、そのGould ElectronicsがSchneider Electricに買収されたことで、現在はSchneider Electricに吸収されているが、同社は現在もModiconの名前を冠するPLCを提供中である。 さて、Modicon 084の成功などもあってPLCの父と呼ばれるようになったMorley氏が、PLCの設計方針として定めたのが、 ・No interrupts for processing(割り込み処理無し) ・Direct mapping into memory(メモリの直接マッピング:Pagingとかを入れない) ・No software handling of the repetitious chores(繰り返しの雑用をソフトウェアで行わない) ・Slow(低速:これのみ間違っていたと、Morley氏は後に語っている) ・A rugged design that really worked(確実に動く堅牢な設計) ・Language(言語:ラダー回路に適したプログラミング言語を利用) といった事柄である。 ちなみにこの設計方針、1968年1月1日の朝、二日酔いの状態で30分で決めたらしい。
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