現代車で再現してほしい!可愛すぎるマイクロカー【マイクロドット&ハスラー編】
この記事【超レア!ウィリアム・タウンズによる5台の傑作車に一挙試乗【ミニッシマ編】】の続きです。 【画像】1976年の時点でハイブリッド!革新的なマイクロドット/同じ車は2台と存在しないハスラー(写真11点) ーーーーー ●1976 MICRODOT(マイクロドット) ウィリアム・タウンズの未亡人リジーによれば、亡き夫のシティカーコンセプトの中ではマイクロドットが一番のお気に入りとのことだ。1976年のブリティッシュ・インターナショナルモーターショーで発表されたが、たしかに1972年のミニッシマよりデザインの洗練性は向上し、オリジナルボディカラーの鮮やかなメタリックグリーンはアクセントカラーのブラックが効いてとてもモダンな印象を受ける。デザインには、映画スターウォーズに登場した宇宙船のインテリアを担当した、ロンドンのスペシャルエフェクトチームのデザイナーも参加したという。マイクロドットはカットダウンしたオースチンミニのシャシーを使い、全長は約2mとかなり短い。ただし幅はミニより4インチ広いため、3席を横に並べることができ、ミニの乗車定員の75%を確保できたということになる。 当初のプロトタイプではドライバーシートは3席の中央だった。しかしマイクロドットの最も革新的な点は、それが1976年時ですでにハイブリッド車であったことだ。因みにトヨタプリウスのプロトタイプが参考出品車として展示されたのは、1995年の東京モーターショーだった。電気モーターで前輪を駆動し、バッテリーレベルが一定の値を下回るとセンサーに接続されたガソリン・エンジンが発電機を駆動した。充電はこの車載発電機でのみで行う。YouTubeで「WilliamTowns Microdot」を検索すると、タウンズ自身がスタンドで0.5ガロン(約2.3e)を給油させ、これ見よがしに50ペンス硬貨を手渡すシーンを映した1970年代の宣伝動画を見ることができる。マイクロドットの発電エンジンは1970年代のホンダの400ccユニットで、ルーカスと電池メーカ一のエバーレディがバッテリーについてのアドバイスを与えている。 この車の実用的で興味深い機能のひとつは車体の後部、左右後輪の間に収納できる折りたたみ式4論ショッピングカートで、これはこの車にとってのトランクでもあるが、引き出してハンドルを起こせばスーパーマーケットに出かける準備は完了というわけだ。 現在マイクロドットの基本構造はオリジナルのままだが、デモンストレーション走行が可能なようにオリジナルの湿式電池に代えて、最新のバッテリーを一時的に搭載している。「フイリップは自分の車を実際に走らせるのが好きで、コレクションの中に飾っておくためだけにレストアされた「バーンファウンド」にはしたくなかったのです」とガントレットは説明する。「これらすべての車について私たちが直面した疑問は「改良」とはどこまで行っても許容されるかということです。たとえ、いくつかの点を変更したくなるかもしれないとしても、タウンズが設計した方法を踏襲し、可能な限りオリジナルを維持するという方針が守られました」 オリジナルミニッシマやその後のハスラーと同様、マイクロドットには車体サイドにドアがない。タウンズはそれぞれのデザインで異なる乗降方法を提案しており、マイクロドットの場合は上部ヒンジで留められガス・ストラットで支えられている大きなサイド ウィンドウを持ち上げることによってアクセスする。 それでも、身長180cm程の乗員では、低い位置にあるステアリングホイールとシートの間に滑り込むことは物理的に不可能で、一旦助手席側に乗り込んでから横に移動することになる。これはマイクロドットを運転する、というよりもむしろ”装着”すると言ったほうが適切かもしれない。 マイクロドットの始動はまるで現代のEVのようにタッチスクリーンで行う。ボタンで「前進」をセレクトし、あとはアクセルペダルで加速するかブレーキを踏むだけだ。昇りでは少し苦労するが、たいした問題ではない。また、前述の車載ショッピングカートの小さなゴム製後輪が、ドラッグスターの“ウィリーバー”のように機能してしまうスピードバンプも有り難くはない。しかし規制が緩かった1970年代には、速度規制のためのスピードバンプはそこまで普及していなかったのだ。 マイクロドットは今日のEVと同じくらい静かであると期待されるようだが、モーターがチェーンによって前輪を駆動するため、実際には走行中はかなりやかましい。ドライブは楽しく、車というよりもゴルフカートに近いが、その小さなサイズのため、現在市場に出ているほぼすべてのEVよりもはるかに環境に優しいものとなっている。 ●1980 HUSTLER(ハスラー) アストンマーティンでの仕事を別にすれば、これこそタウンズにとって最も記憶に残る車だろう。少なくとも500台以上の販売実績は成功と言える。しかしおそらく、まったく同じハスラーは2台と存在しないはずだ。それはモータリングライターのリチャード・ドレッジの言葉を借りれば、「温室を建てるか車を買うかの資金はあるが両方は買えない」人々が組み立てキットを購入して自分で組んだから・・・というわけでもなかった(英国ではキットカーは税金が軽減される)。 タウンズは1978年の発表から約10年間にわたり、各種のBLMCミニ、メトロ、またAD016のサブフレームを使って4論、6輪を含む、実に72の異なるハスラーのバージョンを作り出していたため、同じハスラーは2台と存在しないというわけだ。 今回取材した車両のように、南洋材の船舶用合板製モノコックのハスラーもあった。この木製バージョンはハスラーの発表後3年を経て、1981年のアールズコート・モーターシヨーで発表となったが、タウンズはこれが完全に木製であることを非常に誇りに思っていた。なぜなら木材シャシーまたは合板モノコックとして知られるマーコスでさえ、1969年以降はコスト削減のため鋼管スペースフレームにFRP ボディの採用に踏み切ったからである。木製モノコックはコストとメンテナンスの手間さえ厭わなければ理想の構造のひとつと言える。 当初の計画では、ジェンセン・スペシャル・プロダクツ社の倒産によって使われなくなったばかりの、英国中部のジェンセン工場の一角で製造する予定だった。だがこの計画は頓挫し、タウンズのスタジオからキットを直接販売することになった。彼は長年にわたり基本モデルをベースに、シャワーとトイレを備えたトレーラーを牽引するキャンピングカーからアイスクリームバンに至るまでのボディバリエーションを、またジャガーの12気筒エンジンを搭載した6輪車まで、多にわたるモデルを創り出した。さらにはクレイフォード社のオールテライン車であるアルゴキャットをベースにして、ひっくり返してボートとして使用できる取り外し可能なルーフを備えた水陸両用ハスラーも提案されていた。 しかし、ハスラーのほとんどは単純な”走るガラス箱”だった。プロトタイプのフロントシートはプラスチック製の事務用スタッキングチェアを切断したものだったが、今回取材したタウンズ社のデモンストレーション車両には通常のヘッドレスト付きリクライニングシートが装備されている。この車は、ハスラーの古いプロモーションビデオに登場しているそのものだ。 タウンズが白いタートルネックのセーターにペールグレーのスーツというデザイナー的な服装で、妻のリジーを連れて子供たちを迎えに近くのモートン・イン・マーシュの町に車で向かう様子を映している。子供達と友人4人は後部シートに向かい合って座るが、曲面を持たないガラス構造のおかげで室内空間は広い。 上方に大きく開くフレームレスのガラス製リアハッチ以外にはドアはなく、ボディ左右にはブロンズ色に着色された巨大なスライド式サイドガラスがあるだけなので、前席への乗降は広いシルをまたいでかなり狭い足に入る必要がある。しかし、乗り込むと、冗談のように小さくて直立したステアリングホイールの向こう側には、大量の垂直方向のスペースがある。キットカーのインテリアはビルダーが想像力を発揮できる場所であり、タウンズは自身のハスラーをレトロなSF、すなわちスチームパンクの雰囲気に仕上げた。 ドライビングはミニとほぼ同じだ。ギアチェンジは曖昧で軽快。ステアリングは予想通りシャープでダイレクト。ハスラーは軽量なので、実際にはミニよりも走行感覚を掴みやすい。 純正のBLMC Aシリーズ・エンジンのパフォーマンスは単に活発なだけだが、それでも思わず頬が緩む楽しさだ。フロントシート真上のルーフ全幅にわたる木製サンルーフは後方に折り畳んで開き、巨大なサイドウィンドウを全開にして走ることも可能なので、実際にはルーフは下ろせないのに事実上オープンカーのような感覚を得ることができる。 タウンズは自分の実績に安住することなく1980年代を通じてハスラーを進化させ続けた。FRPのホイールアーチとサイドドアを追加し、より豪華な"フォース4”と"フォース6”も生み出した。しかし、間違いなく、最も素晴らしいハスラーはフォース6だろう。ハイランダーと名付けられた6輪モデルは、伝えられるところによれば8台のみが販売された。5.3リッターV12エンジンのジャガーXJ12のサブフレーム、サスペンション、ブレーキを使用していたことを考えれば、その低いプロポーションとパフォーマンスが納得できる。 後編へ続く…。 編集翻訳:小石原耕作(Ursus Page Makers) Transcreation:Kosaku KOISHIHARA(Ursus Page Makers) Words:Mark Dixon Photography:Jordan Butters 取材協力:ベッドフォード公爵、CMC クラシックモーターカーズ社、フィリップ・サロフィム、リチャード・ガントレット、リジー・カリス、デイビッド・バージリー
Octane Japan 編集部