藤井聡太は“未経験”だが…「ひふみん14歳が大山康晴vs升田幸三で似顔絵を」「羽生善治は春休みか夏休みに」大棋士の記録係秘話
名人戦、初めての記録係で聞いた“大山の声”
私は1967年の名人戦(大山名人-二上達也八段)第3局で、タイトル戦の記録係を初めて務めた。対局場は静岡県の観光ホテル。東京から新幹線に初めて乗り、熱海駅の構内を歩いていると、立会人の棋士に「君、名人のカバンを持ちなさい」と指示された。大山に名前を言うと、「えっ、田丸というの。丸田さん(祐三八段)と逆なんだね」と応じてくれた。初めてじかに聞いた大山の声は、女性のように高音で柔らかかった。 名人戦の記録係では初めて尽くしで緊張し、対局者や関係者との夜の会食では勝手がわからず戸惑ったが、もう1人の記録係の先輩の奨励会員が何かと気を使ってくれた。2日目の終盤で二上の残り時間が迫っていたとき、大山は茶菓子を急に注文し、仲居たちが対局室にあわただしく出入りした。「大山は盤外戦術を使う」と聞いていたので、それかと思った。しかし、その必要がないほど形勢は離れていて大山が快勝した。 1967年度後期の棋聖戦(山田道美棋聖・左-中原誠五段)第4局でも学生服を着て記録係を務めた(当時二段・17歳)。対局場は木造の旧将棋会館だった。タイトル戦に初登場した中原(同20歳)が2連勝すると、山田は「3連敗したら対局料を返上する」と語って悲壮な決意で臨んだ。そして、第3局から3連勝して棋聖位を初防衛した。 ある長老棋士に「将来のために今回は負けて良かったんだ」と慰められた中原は、翌期の棋聖戦で再挑戦して初タイトルを獲得した。
ある対局場での奨励会員の「牛丼の恨み」とは
私は東京・広尾「羽沢ガーデン」でのタイトル戦の記録係を多く務めた。そこは料亭なので宿泊用の部屋は少ない。記録係は1日目は日帰りで、2日目の朝に出向いた。 羽沢では対局者や関係者に松阪牛のコース料理が供された。 ある棋戦の担当記者は、記録係には別室で牛丼を出して帰らせた。そんな扱いに不満を持った奨励会員の中には、後年に棋士になったときに「牛丼の恨み」として、その主催紙に反発を覚えたという。ただ担当記者は記録係を差別したつもりはなく、先輩たちとの会食は息苦しいだろうと考えたようだ。 1971年の王将戦(大山王将・左ー中原十段)第1局でも田丸が記録係を務めた。対局場は神奈川県・箱根の旅館で、現代のようにネット中継や現地大盤解説会はなかった。対局はひっそりとした雰囲気で行われていたのだった。<前編からつづく>
(「将棋PRESS」田丸昇 = 文)
【関連記事】
- 【こちらも→】「藤井聡太15歳の歴史的対局、記録係は伊藤匠だった」「順位戦終局が23時以降だと…」“記録係不足問題”の将棋界、リアルな日当・仕事量
- 【写真】「学ランひふみん17歳vs升田さんとかレアすぎ…谷川さん康光さんも記録係してたの!?」カワイイ藤井くん6歳のパジャマ姿+寝ぐせがスゴい羽生さん17歳など棋士レア写真を全部見る
- 「藤井聡太名人の肩に飛行機が鳥のように…」「豊島将之九段の手、夕焼けも美しい」観る将マンガ家が描く“画面では映らない”羽田空港対局
- 藤井聡太21歳カド番で知る「秒読みの怖さ」羽生善治や升田幸三も“勝ち筋見落とし”ポカの一方で…ひふみん「リズムに乗ると調子よくなる」
- 【画像】「羽生さんでもこんなポカすんの!?」秒読みで起きた悲劇の部分図…藤井くん6歳かわいいパジャマ姿、若い頃イケメンひふみん+升田さんなど天才棋士レア写真も見る