藤井聡太は“未経験”だが…「ひふみん14歳が大山康晴vs升田幸三で似顔絵を」「羽生善治は春休みか夏休みに」大棋士の記録係秘話
藤井は未経験だが谷川、佐藤康、羽生は…
私こと田丸が昔の棋譜用紙を見ると、後年にタイトルを獲得した記録係の名前に驚くことがある。 写真でも紹介するが、1975年9月の新人王戦(森安秀光六段-田丸昇五段)準決勝で、記録係は谷川浩司初段(同13歳)だった。1986年7月のB級1組順位戦(田丸七段-真部一男七段)では、佐藤康光二段(同16歳)が記録係を務めた。谷川と佐藤は10代の頃から嘱望されていたが、私も当時は公式戦で活躍していたので、後輩たちに良い内容の将棋を見せようとひそかに思ったものだ。 森安-田丸戦は平日に行われた。 中学1年の谷川が学校を休んで記録係を務めたのは、三間飛車を武器にしていた森安の将棋を勉強するためだったと思う。谷川も当時、三間飛車をよく指していた。終盤では私が優勢になったが、決め手を逃して敗れた。後年に「光速流の寄せ」と謳われた谷川は、内心で首をかしげたに違いない。 中学生棋士となった羽生善治九段は奨励会時代、春休みか夏休みの時期に公式戦の記録係を2局務めた。同じく中学生棋士の藤井聡太八冠は、記録係を務めたことはない。(※編集註:当初、渡辺明九段は記録係を務めた経験がないとなっていましたが、99年のA級順位戦、加藤一二三-谷川戦などで経験がありましたことを訂正します)
15歳初めての記録係→終局が夜中2時30分だった
私は1965年の中学3年のとき、公式戦の記録係を初めて務めた。当時の持ち時間は大半が各7時間。両対局者は時間をふんだんに使ったので、24時を過ぎて日付をまたいだ。15歳の少年にとって、いつもは寝ている時刻なので睡魔が襲ってきた。 うとうとしていると、対局者から指した合図に体をつつかれた。終局は真夜中の2時30分だった。現代なら義務教育中の深夜業務は問題になるが、記録係は奨励会員の義務として当然視されていた。 昔は複写機がなかったので、記録係は棋譜用紙を数多く書いた。将棋連盟提出に3通、それに両対局者、観戦記者、自分用にと10通ほど書いた。当たり前のように棋譜を受け取る対局者の一方で、「これは棋譜代」と言って500円をくれる対局者もいた。記録料が700円(有段者は800円)だったので、とてもうれしかった。
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