選手時代の20代後半から試合を俯瞰。念願のJ指揮官となった戸田和幸が進むべき道「熟考し、戦略を組み立て、どう戦うかの戦術に辿り着かないと」
「少しは親孝行ができているのかなと」
ただ、指揮官になってからの戸田監督は周りの意見も聞きながら、様々な判断材料を駆使して、最適解を見出している。そのあたりは自分自身の哲学やスタイルを持つ指導者との違いだ。 「たとえば、僕がサンフレッチェ広島時代に指導を受けたミシャさん(ミハイロ・ペトロヴィッチ=札幌監督)なんかは、自身の哲学に対してすごく従順というか純粋ですし、相手よりも自分が目ざしたいものに真っ直ぐに向かっていく方。僕自身も理想を追求したいという考えは持っていますけど、リーグ戦を勝ち抜いていくためにその考え方・方法で成果が得られるかというところは、絶対に外さずに考えるように自身に課しています。 フットボールはとても早いスピードで変化しますから、置いてけぼりとならないよう時間を捻出し、トップレベルの動向を学びつつ、自チームとしてどのようにリーグで結果を出すことができるかを熟考し、戦略をしっかり組み立て、どう戦うかの戦術に辿り着かないといけません。 試合を戦ううえでは、相手が変われば、当たり前に自分たちも変化することが求められる。そういうなかで、自分のスタイルとコンセプトを大切にしながら、対戦相手の強みを小さくし、チャンスをどこで作ることができるかを考えます。 試合が始まるまでの準備と、試合が始まってからの対応の両方をどれだけの質で行なえるかに毎週、懸けていますが、自分の考えと打つ手によってチームは良くも悪くも影響を受ける。その怖さは知ったうえで、十分に思考したうえで、最終的には信じた道を思い切って進むことを自分に言い聞かせています」 そうやって考えに考え抜いて、2年目の相模原を「勝てる集団」に引き上げようという戸田監督。思うように勝てなかった1年前はチームのことで頭がいっぱいになり、あまり寝られなかったというが、今は「栄養と睡眠が十分取れていないと良い仕事はできない」とポジティブなマインドを持てるようになった。 「1つ言えるのは、15試合未勝利という苦境を選手たちと一緒に乗り越えてきたという自負はありますし、苦しいなかでも前を見て努力を惜しまなかった選手たちも間違いなく逞しくなったと思います。当時、妻からは『あの時は大変だったけど乗り越えられて良かったね』と言えるように頑張ろうとよく励ましてもらいましたし、家族との絆もさらに強くなったと思います。 今、思い返すと、勝てない期間、どう生活していたのかよく覚えていないのですが、やっぱり監督は孤独な職業。そんな僕にも、数は少なくても親身になって励ましの声をくれる人が身近にいてくれたことには感謝しかない。支えてくれた人たちのためにも結果を残して、上位にしがみつくんだと今は強く思っています」と、指揮官は1人の人間らしい一面をのぞかせた。 今年47歳ということで、サッカー監督としては決して若いとは言えない。他のJクラブを見渡しても、サガン鳥栖の川井健太監督、鹿児島ユナイテッドFCの大島康明監督、ギラヴァンツ北九州の増本浩平監督のように40代前半の指揮官も増えてきている。そういうなかで戸田監督が成功ロードを邁進してくれることを願う人も少なくないはずだ。 「この年齢になると、同世代とか年上・年下というのはあってないものだと感じますし、年上の意味がネガティブになってくる部分もあるので、自分から積極的に若い人たちと関われるように意識しています。そのなかで、同じ監督で共感できる部分が多いこと、単純にフットボールを追求する姿勢が好きという部分で、鹿児島の大島監督とはよく電話で話しますし、常に学びと刺激をもらっています。 かつての選手仲間を見ても、日韓ワールドカップを一緒に戦ったツネさん(宮本恒靖=JFA会長)のように組織のトップに立っている人もいますし、中山(雅史=沼津監督)さんと会うと、ものすごいパワーをもらいます。 そういうなかで、今の自分はクラブが掲げるJ2昇格に向けて監督として挑戦しなくてはならない。相模原というクラブは僕にとっては地元ですし、練習場に通う時も実家の近くを通っていくような環境です。両親もよく試合を見に来てくれますし、少しは親孝行ができているのかなと。 そういうクラブで働けていることは光栄ですし、一人ひとりの選手をどのように成長に向かわせられるのか、チームとしていかに成長できるのかという点にチャレンジしています」 “元日本代表”、“2002年W杯戦士”という看板がある分、常に注目される立場にいる戸田監督。それを本人も自覚しながら、今の舞台で結果を出すことに集中しているはず。 念願だった指揮官という立場を心底、楽しめるようになれば、自ずと結果もついてくるのではないか。その領域に到達する日を楽しみに待ちたい。 ※このシリーズ了(全3回) 取材・文●元川悦子(フリーライター)
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