由義寺は実在した? 八尾・東弓削遺跡から古代瓦出土
由義寺は実在した? 八尾・東弓削遺跡から古代瓦出土 岡村雅之撮影
大阪府八尾市南部に位置する東弓削(ひがしゆげ)遺跡で市文化財調査研究会が実施している発掘調査で、平城京の興福寺や東大寺の瓦と同じ様式とみられる古代瓦が大量に出土し、このほど現地説明会が開かれ、考古学ファンらに公開された。地元出身の高僧道鏡ゆかりの由義寺(弓削寺)は「続日本紀」に記載されているものの、遺構は確認されていなかったが、品質のすぐれた瓦などの出土で、由義寺が実在した可能性が高くなった。調査は継続されるため、由義寺の実在を特定できる遺構や、由義寺とともに文献に登場する西京(にしのきょう)の手掛かり発見などへ、古代史探求の夢がふくらむ。 大阪唯一の「掩体壕」など 戦争遺跡を辿る案内人の思い
300箱相当の大量の古代瓦が出土
「大きな箱で300箱ぐらいの瓦が出ました」「すご~い!」。発掘現場で開かれた現地説明会。調査員が手ぶりで箱の大きさを示しながら報告すると、見学者の間でどよめきが起きる。幹線道路沿いに広がる発掘現場には、朝からの雨も上がり、多くの考古学ファンが詰めかけた。 調査員が立つ足元の土地の表面や断面にも、土に混ざって大量の瓦の破片が確認できる。古代か中世か年代は特定できていないが、土地を造成する際、周辺に点在していた瓦の破片を土に混ぜて再利用したようだ。 中世の古井戸跡からも、補強材として古代の瓦がびっしり積み重ねられた状態で出土した。瓦そのものがハイテクの工業製品で、庶民には高根の花だった時代が長く続いた。大量の古代瓦が出土した背景には、大規模な瓦屋根のある寺院があったからではないかと推定される。
道鏡なら権力を駆使して高級瓦を投入できる説
平城京を代表する有力寺院興福寺や東大寺で使用されていた瓦と同じ様式の瓦が含まれていることも分かった。軒先を飾る軒丸瓦と軒平瓦の双方が発見された。表面には繊細な文様を持つ。瓦の公開に立ち会っていた調査員は見学者に囲まれながら「地元出身の道鏡さんは称徳天皇の寵愛を受けて法王まで上り詰めますが、背後にふたりの影が見られる興味深い瓦です」と、瓦と権力者のかかわりに関心を示す。 道鏡は八尾市生まれの僧で、弓削氏の一員だったことから弓削道鏡と呼ばれる。称徳天皇の寵愛を受け、法王として政治にも影響を及ぼす実力者となるものの、栄華ははかない。対抗勢力の反感を買って失脚し、晩年は地方で中央政界から離れた生活を余儀なくされた。 一方、平安時代初頭の「続日本紀」には、由義寺の存在が記載され、ご当地が推定地とされている。地元出身の道鏡が造営に関与したと考えられる半面、寺院の存在を裏付ける遺構は発見されていなかった。興福寺式瓦などの平城京の瓦が、ご当地に持ち込まれていた新発見は、何を意味するのか。 「称徳天皇の後ろ盾のある道鏡が、自身の権力を駆使して高級瓦を由義寺造営に投入したのではないか」との推理が、十分に成り立つ。地中に眠っていた瓦の背後から、ふたりの権力者の姿が浮かび上がってくる。
由義寺の遺構や西京の手掛かり発見へ期待高まる
幻の由義寺発見か。出土した瓦を前にして、早くも前のめりになった考古学ファンから、調査員に「お寺の礎石は見つかりましたか」などの質問が相次ぐ。残念ながら今回の調査では寺院の存在を裏付ける礎石などの遺構は見つかっていない。 しかし、発掘調査は来年度も周辺地域で継続されるため、由義寺実在を特定できる遺構出土へ期待が高まる。秘められた可能性は由義寺ばかりではない。 「続日本紀」には、由義寺とともに西京と呼ばれる都が、登場する。平城京に対し、西にあるため西京とされたようだが、詳細は分からない。なぞに包まれた西京の手掛かり発見へも、古代史探求の夢はふくらむ。 (文責・岡村雅之/関西ライター名鑑)