外科医がハマった離島の面白さ ~グローバルな視点で格差に挑む~
◇「人として向き合う」医療を実践
沖縄では後期研修の最終学年の1年間は離島勤務が義務付けられています。赴任先は自分で選べず、上司から「宮古島」と辞令が出されたときは、正直ネガティブなイメージしかありませんでした。当初は1年で沖縄本島に戻る予定でいましたが、宮古島の居心地の良さから抜けられず、15年経た今もなお住み続けています。 宮古島に定住した大きな理由は二つあり、一つは住んでいる人たちの暮らしをもっと知りたいと思ったことです。外来での診療を通して患者さんの暮らしぶりが分かるのですが、宮古島で診療を始めた頃、ある患者さんにがんが見つかり、治療の説明をしている時、「治療よりも畑に行きたい」と言われました。自分の体のことよりも畑のことが気になるという感覚を最初は理解できませんでした。その土地のその年代のものの考え方があり、医師がそれを理解し、治療だけでなく患者さんの暮らしを応援する。自分が活躍できるフィールドが目の前に広がっていると思えるようになりました。病気を診るだけでなく、地域を知り、人として向き合う医療の楽しさを知ることができたのは都会ではできなかった経験です。
◇狭い社会の中の人とのつながり
もう一つは小さな社会ならではの人とのつながりです。地域の誰かとどこかでつながっていますので、救急搬送された人が知り合いの家族の親戚だったり、友人の知り合い同士が知り合いだったりと必ずどこかでつながっています。こういうことは沖縄本島でもまずありえません。都会に限らず、一度会った人と二度と会わないことはよくあることですが、ここでは一度出会うといい意味でも悪い意味でも強烈なフィードバックがあります。もちろんそういう中で生きていくことの煩わしさはあります。治療が残念な結果で終わった患者さんの家族とお店でばったり会って悲しい思いをすることもありますが、治療がうまくいった時はそれを超える喜びや感動があります。 いつも誰かに見られていることで背筋がピンと伸び、それが患者さんに最善の治療を提供するためのパワーにもなっています。