表面化しにくい「シニア男性の一人暮らし」(前)…その実態と究極の理想の「終着点」
理想の死に方は永井荷風
老い本界の歴史をふりかえると、シニア男性の一人暮らしを書いた本が皆無というわけではない。永井荷風『断腸亭日乗』(1964年)は、その古典にして代表的な一冊と言えよう。 同書は、永井荷風が中年期から始めた日記であり、79歳で亡くなる前日まで書き続けた。家族を持たない荷風は、孫に囲まれるような晩年は過ごしていない。70代になっても頻繁に浅草に通い、ロック座(ストリップ劇場)の楽屋に顔を出したりアリゾナ(洋食店)で食事をしたりと、したいことをしている一方、数えで70歳になった年の元日には、 「晴。来訪者なし。終日家に在り」 との記述の後、 「七十になりしあしたのさびしさを誰にや告げむ松風のこゑ」 という歌が詠まれているのだった。 時代は飛ぶが、老い本ブームの中で多くの本を出している弘兼憲史は、『一人暮らしパラダイス』(2020年)という本を出している。「弘兼流 熟年世代の『第二の人生』」とのサブタイトルがついたこの本において弘兼は、中高年男性に一人暮らしを勧めている。家族から離れて、自分のしたいことをしよう。家事もその気になればできるようになる。……と書く著者自身も、「結婚していても同居はしていない」とのことで、一人暮らしを堪能している模様。 著者は、永井荷風の死に方を理想としている。荷風は79歳まで一人で好きなように生き、ある朝お手伝いさんが荷風宅に行くと、既に事切れていた。胃潰瘍からくる吐血による窒息死だったのだが、皆の憧れ・ポックリ死の一種と言うことができるのであり、弘兼は、第二の荷風を目指しているようにも見える。 老い本に描かれるシニア男性の一人暮らしというのは、こうしてみると、お金持ちの趣味のようなものでもあるのだった。荷風は生まれながらのおぼっちゃまであり、弘兼は大人気のマンガ家。両者ともに家族というくびきをあえて避けて、一人暮らしをしている。人生の最後に好きなように生きてポックリ死というのは、最高の贅沢として憧れられる人生の仕上げなのだ。 本記事は、表面化しにくい「シニア男性の一人暮らし」(後)…谷川俊太郎が三度の離婚を経て得た「家族観」に続きます。 * 酒井順子『老いを読む 老いを書く』(講談社現代新書)は、「老後資金」「定年クライシス」「人生百年」「一人暮らし」「移住」などさまざまな角度から、老後の不安や欲望を詰め込んだ「老い本」を鮮やかに読み解いていきます。 先人・達人は老境をいかに乗り切ったか?
酒井 順子