「私の中にも植松聖はいる」障害者殺傷事件から8年…差別を考える人びと
よしひとさんの言葉にあったように、「役に立たないものには価値がない」と決めつける風潮は、セクシュアルマイノリティだったり、非正規労働者だったり、高齢者だったり、在日の外国人・難民・女性だったりする。それぞれはマイノリティなのかもしれませんが、「女性」と言ったらもう半分を占めますよね。高齢者もかなりの人数です。実は、少数の人たちが、多数の弱い人を差別する考え方でもあるんじゃないか。一つ一つがマイノリティだと思いがちですけど、少数の人たちが私達多くの人間を差別する考えとも言えるのではないかな、という気がしました。
よしひとさんたち若い世代が、入管法改正反対などの勉強会や映画の上映会を開いていることに共鳴した、という50代の女性参加者2人に話を聞きました。 1人目の女性:SNSを通じて何年か前から、BTSのアーミー(ファン)で結構社会的な問題に関心が高い人たちがいて。やっぱりあの事件はショックでしたし、何かできないかなと。 2人目の女性:この事件は本当にショックで、誰もが暮らせる社会・世界になってほしい、と思って今日も参加しました。 神戸:人前でプラカードを持って立つのは、なかなか勇気がいるんじゃないですか? 1人目の女性:もう全然抵抗がなくなりました。慣れました。ふふふ。 参加者は20人ぐらい。繁華街でプラカードを持ち、マイクで話し、物静かに呼びかけるアピールとなっていました。こういう活動はとても大事だと思います。この女性たちが「慣れました」と言っているのに驚いて、「素敵だな」と思いました。
植松聖被告が話したこと
死刑判決が出る前の植松聖被告と、私は6回面会し、やまゆり園事件に関係するドキュメンタリーを制作してきました。「認知症が進んでうまくコミュニケーション取れなくなってきた高齢者も、心失者なのですか」と聞いたら、「もちろんです」と。「そうした人たちも殺害の対象なのですか?」と聞いたら「そうです」と言っていました。「ああ、そうか…障害者だから殺したんじゃないんだ。『役に立たないと思った人たちを殺害しようとしているんだ』と理解しました。よしひささんや、女性たちが言っている通りなんです。 「自分と関係ないこと」ではなく、自分たちが年を取り、植松聖のような人が包丁を持って寝室に入ってきて、『話せる奴いないか?話せなければ刺すよ』と言って刺していった…そんな事件です。健常者であっても、びっくりしてしゃべれないと思うのです。血まみれで包丁を持って、もうホラー映画みたいな状況ですから。 ※ラジオドキュメンタリー『SCRATCH差別と平成』(2019年)で、植松死刑囚との接見の様子を再現して紹介しています。共同制作したTBSラジオが、ポッドキャストを公開していますので、検索してみてください。