「私の中にも植松聖はいる」障害者殺傷事件から8年…差別を考える人びと
新潟の市民団体に呼ばれ
翌日27日は、「津久井やまゆり園障碍者の虐殺を考える新潟の会」に呼ばれ、朝の飛行機で新潟に行って、自分が作ったドキュメンタリーを紹介しました。30人あまりの人が集まっていて、いろいろ意見交換をしてみました。呼びかけ人の医師、黛正さん(佐渡市)の発言です。 黛正さん:津久井やまゆり園の事件の受け止め方が、少しずつ変わってきているし、おそらく10年を機会にしてだんだん報道はされなくなってくるんだろうな、と。ただ、問題の本質は全然議論されないまま、時間だけは経って忘れられているなという気がして、この学習会を続けてきたんですけれども、今年7月のこの事件を境目に、いろいろな面から焦点を当てて、もう一度あの事件を振り返ってみて、これからどうしていったらいいのか考えていけたらなと思っています。 事件の直後、私は長男と妻のことを考えながら、自分がどうやって長男の障害を受け容れようとしてきたのか、障害がなければいいなと思ったこととか、ない方がいいとか、朝起きたら障害がなくなっている夢を何度も見てきたとか、そんなことをFacebookの文章に投稿しました。それがかなり広がっていったという経緯があり、文章を紹介しました。 新潟では、いろいろな意見が出ました。例えば、私が書いた文章は「ちょっと情緒的に過ぎるのではないか」と、障害を持つ当事者の方から批判を受けました。いろんな意見が出て、非常にいいことだと思いました。私は「またこんな夢を見てしまったごめんね」と謝っていますが、これは当事者からすると、「これを聞かされたら、自分としてはあまりいい気はしないです」と。「それはそうだろうな」と思いました。うちの長男は、この言葉を聞いて全部理解できる状況ではないですが。 私は長男を見ながら、「障害は他人事ではないな」と思うようになっていきました。文章の中に「誰もが、健常で生きることはできない。誰かが、障害を持って生きていかなければならない」などと書いています。 この文章は、ずっと自分が考えてきた過程を書いているものなので、今も「長男が私の代わりに障害を持って生まれてきたんだ、だから大切にしなきゃ」と思っているわけではないんです。ただ、次の部分は、相変わらずそう思っています。 『老いて寝たきりになる人は、たくさんいる。事故で、唐突に人生を終わる人もいる。人生の最後は誰も動けなくなる。 誰もが、次第に障害を負いながら生きていくのだね。』 不寛容な社会は、障害者だけじゃなくて、役に立たないとされる人が生きにくくなっていく面があると思います。会場では最後にこんな声が出ました。 黛正さん:それでは、いろいろ議論はあるかと思いますが…。 参加者:すみません、一点だけ。今日のお話の中で、すごく重要なポイントはいわゆるイントレランス(不寛容)。みんな自分の中の不寛容があると見えました。お互いに寛容っていうところが求められている。左翼・右翼と、レッテル貼ったりするけど、そういうことじゃなくてやっぱり寛容というところに今日のキーポイントがあるんじゃないかな、という風に思ったのです。 黛正さん:まとめていただいて、ありがとうございます。 様々な議論がありましたが、最後にこの発言が出て、私も「そうだなあ」と思いました。不寛容な社会が広がってるようにも感じられますけども、言葉に出すことを控え、SNSに出すことを控えていくことが僕らにできることなんじゃないか、という気がしました。 【お知らせ】 RKBテレビでは8月12日(月・祝)午後1時55分から、「RKBドキュメンタリーの日」と題して、ドキュメンタリー番組3本を連続で放送します。2本目がやまゆり園事件を描いた『リリアンの揺りかご』で、80分の映画をテレビ用に短縮した1時間番組です。放送開始時間は、午後2時56分です。
◎神戸金史(かんべ・かねぶみ)
1967年生まれ。毎日新聞に入社直後、長崎支局で雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。ニュース報道やドキュメンタリーの制作にあたってきた。23年から解説委員長。最新の制作ドキュメンタリーは、『リリアンの揺りかご』(映画版、80分)。