「マジですか?」「マジです」 鳴ってしまった電話…21歳の戦力外、感じた父の落胆
強豪私立から特待の話も…「埋もれると思い全部やめました」
県内の強豪私立からも特待の話はあったが、結果的に“熱烈オファー”を受けた市立松戸高を受験した。スポーツ推薦などもない公立校だったため、入学を誘われたとはいえ、「勉強頑張って」と言われるに留まった。瀧本は冷静に考えた。「チームの強さとか交通の便とか、そういうのを考えて。他に特待の話がきていた高校は強かったけど、埋もれるなと思って全部やめたんですよ。行っても活躍できる保障がないなと」。 当時16歳の選択は、あまりに現実的だった。「中学の時は本当に野球が嫌いで。野球で高校を選んだら、野球が全てになるじゃないですか。『そんな生活、俺はできない』と思って。だから、ちゃんと学校生活があって、野球があってみたいなところがいいと思って、そこにしました」。自宅からの通学も電車で1駅。自転車でも通えることも決め手になった。 市立松戸高に無事に合格し、朝隈監督の下での野球が始まった。中学時代は外野手だったが、高校1年の途中から投手に転向した。「監督は体育の先生だったので、授業で自分が高跳びで160センチくらいを飛んだ後に、『こいつをピッチャーにしよう』と思ったらしいです。野球強豪校じゃなかったので、どうせやるなら投手をやりたいなとは思っていました」。瀧本は1年の秋大会から本格的に投手としてプレーした。高校3年間で“野球嫌い”だった球児は心身ともに大きな成長を遂げ、育成選手として夢の舞台へと歩みを進めることになった。 「先生は野球をしっかり考えられているというか、スポーツ科学を学んでこられた人なので。だから、考えて野球ができるようになったのも、考える努力をできるようになったのも監督のお陰。尊敬できる人です」と瀧本は言う。 選手としての可能性を見い出し、育ててくれた朝隈監督への恩返しはまだ終わってない。「監督から『野球を続けたいんか?』と言われて。最終的には大学に行きたいという話は前からしていましたけど、それまでは野球をやりたいと話しました。監督も社会人やクラブチームを探してくれていたみたいで、『“瀧本争奪戦”が千葉で起きているから、安心しろよ』と言ってくれて。『そういう話はあるけど、お前には素晴らしいキャリアがあるから。(ほかに)いい話があるなら遠慮なく断っていいから気にするな』とも言ってもらいました。キャリアといっても、育成じゃないですか。それでも、そう言ってもらったことが嬉しかった」。ずっと気にかけてくれる恩師に改めて感謝の気持ちが込み上げた。 まだまだ野球で夢を叶えた姿を見せたい人達がいる。瀧本がまず見据えるのは、12球団合同トライアウト。くしくも、地元の千葉で開催される。お世話になった人々の前で、次の道に繋がる投球をしてみせる。
上杉あずさ / Azusa Uesugi