映画『ボーはおそれている』アリ・アスター監督×大島依提亜×ヒグチユウコ【座談会】最新作やポスターデザインについて語り合う
『ボーはおそれている』の新しさ
──まずおふたりは『ボーはおそれている』(以下『ボー』)をどのようにご覧になりましたか? 大島:もう最高でした。極度の心配性の人のもとに、心配ごとが一千倍増しで現実化するような映画でしたね。一般的に映画をはじめとする物語は、主人公が心配や障害にどのように立ち向かうか、もしくは為すすべなくその状況に甘んじる姿を描きます。でも本作が特殊なのは、巨大な心配ごとが大挙して押し寄せて、すべてを洗い流し、結果、一瞬ではあるけれど主人公が浄化されてしまう。これは新しいなと思いました。 ヒグチ:私はアリ・アスター監督の大ファンで、今回も本当に素晴らしかったです。 大島:また冒頭のシーンがジャック・タチみたいだと思いました。聞くところによると、監督も意識されたとか? アスター:そうですね。とくに『プレイタイム』(1967)ですが、様々な作品に影響を受けています。 大島:それと、ジャン=リュック・ゴダール監督の政治的な作品、たとえば『ウイークエンド』(1967)、『ワン・プラス・ワン』(1968)、『万事快調』(1972)も思い起こしました。主人公がストーリーを進行するその後ろで、様々な人たちがいろんなことをしている。バラバラな仕草をしているけれど、遠目で見るとひとつの美しい機械のように見える。そのような印象を本作からも受けました。 アスター:本作ではとくにゴダールを意識したわけではないのですが、おっしゃっていることはわかります。ゴダールの技巧の見事さですね。また『プレイタイム』では実際、画面の奥のほうに映っている人々にも、手前の主人公たちと同じように気が配られ、身体の動きの細部まで演出されていることがわかります。タチがどのようにして撮影したのか想像つきませんけれどね。あのようなことができる人はほかにいないと思います。
歴史や文脈から外れた映画
大島:映画史のなかで、その映画が作られた時代背景や文脈から外れた突然変異的な作品が時折あります。ジャック・タチの映画はまさにそうですが、監督がお好きだと語られてきた作品にはそのようなものが多いように感じました。また監督の作品も、後世から見たら、そのような作品だと思われるのではないでしょうか。そうした映画のありようについてどう思いますか? アスター:面白いですね。私もそうした作品は大好きです。 ヒグチ:監督の作品はジャンルに括りづらいですよね。 大島:俳優出身のチャールズ・ロートン監督作『狩人の夜』(1955)がお好きだそうですが、やはり歴史から踏み外したような作品ですよね。 アスター:大好きですね。興行的にうまくいかず、監督作はこれ1本となってしまいましたが。確かにどう扱っていいかわからない映画だと思います。 大島:今回、監督は『あなたの死後にご用心!』(1991)をご参考にされたそうですが、この作品も1990年代の映画史の文脈から外れた作品のように思います。俳優アルバート・ブルックスが監督していますが、俳優が撮った作品についてどう思いますか? アスター:それは人と作品によりますが、『あなたの死後にご用心!』は面白いですね。アルバート・ブルックスはコメディアンとしてキャリアを始め俳優としても活躍していますが、私は監督としてより意識していますね。『ゴー!★ゴー!アメリカ/我ら放浪族』(1985)、『Modern Romance』(1981)、『Real Life』(1979)、いずれも大好きな作品です。 『狩人の夜』に関して言えば、「あの俳優が映画を撮れるのか?」という観客からの疑り深い視線が、公開時にこの映画を受け止めづらくしたのではないかと思います。 俳優が映画を撮るということは歴史的によくあり、たとえばアラン・アーキンは1971年に『Little Murders』を撮っていますし、ショーン・ペンも『プレッジ』(2001)などいい映画を監督していますね。