62歳で死去「藤原道長」栄華を極めた“最期の日々”。死の直前には息子や娘が次々と亡くなった
今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は藤原道長の最期の日々のエピソードを紹介します。 著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。 【写真で見る】道長の邸宅、土御門第跡 ■三后をすべて娘で占め、絶頂極める 1018年10月16日。藤原道長は、三女・藤原威子の立后(後一条天皇に入内)の日に「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば」との有名な歌を詠みます。
道長が三后(皇后・皇太后・太皇太后)をすべて自分の娘で占めるというまさに栄華を極めた時期でした。 しかし、華々しい生活の裏で、またもや道長に危機が忍び寄っていました。それは、これまでにも度々、道長を苦しめてきた病です。しかも、今回は発熱や怪我ではなく、目が見えにくくなるという症状でした。 先に紹介した歌を詠んだ翌日には、すでに他人の顔がよく見えないという状況だったのです。 日記『小右記』の著者・藤原実資は、道長と語り合っているときに、道長が「近くにいるそなたの顔も見えない」と述べたことを記しています。夜と昼の区別もつかぬほどの状態だったようで、道長の視力はかなり低下していました。お祓いをしてもらいましたが、効果はありません。
12月に入ると、「来年からは他人と対面の回数を減らす」とまで漏らすようになります。視力のみならず、気力も減退していたと言えましょう。12月下旬には、胸が苦しくなるという症状まで表れます。 年が明けた、1019年の2月。道長は「心神不覚、前後を知らず」という一時的な失神状態に陥ります。 ■道長がとうとう出家する 同年3月中旬にも、胸の病で発作が起きました。道長には前々から出家したいとの想いがありましたが、こうした症状(病)の連続に、とうとう出家を決断。同年3月21日、出家するのです(天台宗の僧侶・院源が戒師)。