62歳で死去「藤原道長」栄華を極めた“最期の日々”。死の直前には息子や娘が次々と亡くなった
「祖父危篤」ということで、後一条天皇が法成寺に行幸されます。『栄花物語』によると、天皇が道長に「望みのもの」をお尋ねになると、道長は「この世に思い残すことはないです」などとさまざまなことを語ったとのことですが、道長の病状を考えるとそれは難しかったのではないかと疑問視されています。 また、同書には、子の頼通が父・道長の病気平癒のための祈祷を行おうとしたら、道長が「それは無用」と断ったとされます。病気平癒の祈祷は、道長によると、自分を「悪道」に落とすことに等しいからやめてくれというのです。「念仏のみを聞いていたい」と言ったとのことです。
道長のこれまでの行動(加持祈祷の依頼)を考えると、本当に道長がこのようなことを言ったのかどうかは疑問ではありますが、阿弥陀如来像と対座するうちに、何らかの心境の変化があったのかもしれません。 道長の背中の腫れ物は、悪化していたために、12月2日には医師による針刺しが行われました。膿と血が流れ、道長は苦渋の声を上げたようです。それから2日後、道長は息を引き取ります。享年62歳でした。 ■死後も息子が摂関政治を引き継ぐ
『栄花物語』は、臨終の時、道長は耳には念仏を聞き、9体の阿弥陀如来像の手から引いた糸を握りしめつつ、あの世へと旅立ったとしています。 一方で、これは美化されたもので、本当は苦しみながらの死だったのではないかとの見解もあります。藤原氏摂関政治の最盛期を築いた道長。道長の死後も、彼の息子が摂関職を世襲したことを思うと、道長の「偉業」の大きさが改めてうかがえるでしょう。 (主要参考・引用文献一覧) ・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973)
・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985) ・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007) ・紫式部著、山本淳子翻訳『紫式部日記』(角川学芸出版、2010) ・倉本一宏『藤原道長の日常生活』(講談社、2013) ・倉本一宏『藤原道長「御堂関白記」を読む』(講談社、2013) ・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)
濱田 浩一郎 :歴史学者、作家、評論家