渡辺早織さんが心奪われたフィオレンティーナの香り イタリアで食べる1キロ超えの骨付きステーキ
香ばしくもどこか甘い香りの秘密は?
「これこれ、これが食べたかったの!」 仏のような笑顔でにこにこ見守る夫を前にさっそく大口をあけて口いっぱいに頬張(ほおば)る。 じゅわっと口の中で音が聞こえそうなほどにあふれる肉汁と、カリッと焼けた表面に対して中心部はすっと歯がとおるやわらかな食感。 「んん~」と思わず目を閉じてうなる。なんておいしいんだろうか。 和牛とはまた違うおいしさで、脂身の少ない赤身肉だからこそパクパクと食べ進めてしまう。 この肉の持つうまみをかみしめ夢中になっていたら、ついに最後まで塩を振らずに食べ切ってしまった。 このお肉自体のおいしさにも感激しきりなのだが、もう一つ驚くのはその香りの良さだ。 力強い肉の香りというよりは、香ばしくもどこか甘く、すーっと鼻の中に入っては体全体を魅了する心奪われる香りなのだ。 きっとさくらの木や何かおいしい香りの木の炭火を使っているのだろう。 自分なりに仮説を立てて、骨についた一番おいしいであろう部分の肉もきっちりそいで食べ終えて、お店の人にたずねてみた。 「あまりに良い香りなので…何の木で炭火にしているのですか?」 そうすると店員さんは少し怪訝(けげん)な顔をして、 「普通の木だよ。普通の炭火で焼いているんだ」 そう言って忙しそうに別のテーブルへと去っていってしまった。 つまりはこの味も香りも全て肉がもつ特有のものなのだ。 何の味付けもせずにただひたすらに食べてしまったこの肉そのもののおいしさなのだ。 ふと向かう道中に見た美しき田園風景が頭をよぎる。 この地で育ち、この地の草を食(は)み、おだやかな環境で育ったあの白い牛たちを。 なんだかすごく合点がいった。 フィオレンティーナのおいしさの秘密は土地にあり。 「食べすぎちゃったね」 おなかをさすりながらも、とびきりの笑顔の夫の横顔が今日の日を物語っている。 顔に当たる夜風はひんやりと冷たいが、今日はなんだか心地いい。 すっかり暗くなった夜のフィレンツェをゆっくりゆっくり歩いた。 (文 渡辺早織 / 朝日新聞デジタル「&Travel」)
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