「東大ではなく早稲田慶応くらいが記者にはちょうどいい」…!《読売新聞のドン》ナベツネが山崎拓に明かした「本音」
主筆という役職だけは手放さなかった
渡邉氏は自らが望む「理想の最後」について「主筆室で死んでいて秘書が発見する」と明かしたことがある。 「大野伴睦さんの番記者をしていた頃、ナベツネさんはその手先となり、カネを配っていた。一方で、ご本人は『俺は100万ずつ配って歩いたが、一枚も抜かなかった。俺は一銭も着服しなかった』と自慢していた。 欲の深い人ではあったが、ジャーナリストである誇りを強く持っていたと思う。 社長などのポストは譲ったが、記者の最高位である主筆という役職だけは最後まで手放さなかった。毀誉褒貶あったが、最後までジャーナリストを貫いた」 後編記事『ナベツネさんは「派閥を石原伸晃に譲れ」と…!元自民党副総裁・山崎拓が語る渡邉恒雄と石原慎太郎に呼び出された夜のこと』では、さらに山崎氏の回想を紹介しています。
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