「東大ではなく早稲田慶応くらいが記者にはちょうどいい」…!《読売新聞のドン》ナベツネが山崎拓に明かした「本音」
小泉純一郎と馬が合った理由
読売新聞社を発行部数1000万部を超える巨大企業に成長させた渡邉氏は「メディア界のドン」として君臨する一方、「フィクサー」としての顔も持ち、政界に絶大な影響力を誇った。 「衆議院議長や自民党副総裁を務めた大野伴睦さんの番記者を皮切りに常に権力の近くにいた。 中曽根さんとの深い関係は有名だが、中曽根さんが総理だった頃、ナベツネさんは盟友の氏家齋一郎さんとともに中曽根政権維持を目的とした様々な政界工作を担っていた。当時、私は官房副長官だったが、中曽根さんから2人との連絡役を仰せつかい、その剛腕ぶりを目の当たりにした」 渡邉氏について、山崎氏は「ジャーナリストの枠を超え、裏方として時の政権を支えていた」と評する。 「頻繁に会うようになったのは、小泉純一郎政権時代。小泉の靖国参拝問題をめぐっては、非常にお世話になった。 小泉は、終戦の日に靖国神社を参拝した師匠である福田赳夫さんに倣い、8月15日の靖国神社公式参拝を公約にしていた。私も加藤紘一も意見したが、小泉は聞き入れなかった。そこで、ナベツネさんに相談して説得を依頼した。読売はどちらかというと右寄りの論調。その読売がたしなめることは効果があると考えた。ナベツネさんは『15日に行くべきではない。せめて13日にすべきだ』と社説に書いてくれた。その結果、15日ではなく13日の参拝になった。 小泉政権のとき、ナベツネさんと小泉は氏家さんも混じえて時々会食をしたが、2人でよくオペラの話をしていた。ナベツネさんは音楽の造詣も深く、小泉もまた詳しかった。2人は音楽を通じて馬が合っていた印象だった」
政治権力に取り憑かれた男
戦後政治の表も裏も目の当たりにしてきた「最後の生き証人」とも言われる渡邉氏だが、権力との近さが批判されることも多かった。 「共産主義者だった人が、保守を代表するメディアのトップに。戦争を経験し平和主義者ではあったが、自衛力の保持を明記した憲法改正試案を紙上で発表するなど日本を強国にしたいという思いもあった。非常に幅の広い人だった。 しかし、終生権力を支える立場にいた歩みを評するとすれば、政治権力に取り憑かれる人だと思う。大野伴睦さんの番記者を務めたことをきっかけに自民党の権力という魔物に取り憑かれてしまったが、あの人が求めたのは真の政治権力であり、自民党でなくてもよかったのではないか。 2007年には自民党と野党第1党だった民主党との大連立政権の実現に向けて動いた。大連立構想は当時の福田康夫首相が政権運営に苦慮する中で浮上したものだったが、福田さんと小沢一郎氏の仲介役をしたのがナベツネさんだった。 余談だが、先日、小沢氏が私と亀井静香氏の誕生会を開いてくれた。その席で小沢氏と『自民と立憲民主党の大連立をやろう』という話で盛り上がったが、亀井氏は『それはダメだ。野党でまとまり、国民民主党の玉木雄一郎を総理にすべきだ』と主張して、小沢氏と口論になっていた(笑)」