映画『若武者』を世界同時公開&配信開始…「New Counter Films」が切り拓く新しい邦画製作のカタチとは
プロデューサーの役割
――二ノ宮監督の才能の魅力についてお聞かせください。 鈴木: 初長編『魅力の人間』(2012)のDVDを観てから『枝葉のこと』の脚本を読んで、「ただものではない」ということは一発でわかりました。 最新作『若武者』も、初稿の時点で途轍もないクオリティの脚本が上がってきました。暴力の連鎖という、今のウクライナやパレスチナの問題にも深く関わるテーマが描かれていますが、最初に脚本を読んだのは2019年ぐらいです。 その間に新型コロナのパンデミックがあり、社会情勢がどんどん変わっていく中で、今すぐ撮らないといけない、どんどん世の中が脚本に近付いてきてしまう、という危機感がありました。 映画は時限爆弾みたいなもので、公開が製作の数年後になることが多いため、内容に関しても先読みして仕掛けていく必要があるのですが、彼は確実に世の中の動きを先取りして書いているように感じます。「個人と戦争」の問題を寓話的に描きながら、リアリズムに挑戦しているというか。そういう目線で『若武者』を観て頂けたら嬉しいです。 ――プロデューサーの役割をどのように捉えていますか。 鈴木: 才能は間違いなくあるけれども、言葉で説明することが苦手だったり、事務作業や諸連絡などが上手くできない人は少なからずいます。 今の日本では、そういった作家が世に出ることが非常に難しくなっているように感じます。プロデュースワークも自分でできるぐらい器用な人しか、仕事として映画監督を続けていくことができないと言っても過言ではないかもしれません。 そんな中で、作家の才能を最大限引き出しつつ、苦手な部分を補っていく存在というのが、プロデューサーの役割だと考えています。 脚本開発については、自分の場合は、まずは予算にはまるように修正依頼することが多いです。その上で、「この方が面白いのではないか」という指摘は勿論します。「売れるには~した方がいい」という言い方は、あまりしないですね。 基本的に脚本をコンセプトで捉えながら分析して読むようにしていて、多くの人を巻き込んで形にしていくには「こういう作品です」というシンプルな言語化が必須だと思っています。企画書でプレゼンテーションするには短い言葉があった方がわかりやすいので。 ただ、脚本家を志していた身としては、それでは作家にはなれないな、という絶望や挫折感も少なからずありますね。それは作家とは全く違う能力なので。 でも、だからこそ、自分だけでは絶対たどり着けないことを本当に知りたいというか。そこに生物としての興味で近付けるのがプロデューサーという仕事の醍醐味だと思っています。