映画『若武者』を世界同時公開&配信開始…「New Counter Films」が切り拓く新しい邦画製作のカタチとは
脚本家志望から一転
――インディーズ映画の世界に入ったきっかけについてお聞かせください。 鈴木: 学生時代から、石井克人監督のワークショップ映画にスタッフとして参加したり、大手配給会社の宣伝部でアルバイトをしたりしていました。いわゆる学生映画や自主映画の世界からは一歩距離を置いていたと思います。その中で、石井監督からの勧めもあって、脚本家を志すようになりました。 大学卒業後は、テレビ番組の制作会社で働きながら脚本の勉強をしていましたが、自分は企画を立てたり人の才能を引き出す方が向いていると思い、プロデューサーを目指し始めたのは、25歳ぐらいからです。 会社を辞めて独立し、最初にプロデューサーを務めた作品、佐々木想監督『隕石とインポテンツ』(2013)がカンヌ国際映画祭・短編コンペティション部門に出品されました。それがきっかけで本格的にインディーズ映画の世界で活動していくようになりました。 ――その後、二ノ宮隆太郎監督の『枝葉のこと』(2017)を手掛けますね。同作は新人監督の登竜門と呼ばれるロカルノ国際映画祭・新鋭監督部門にノミネートされました。 鈴木: より良い環境で良い作品を作るために、映画制作の現場経験を積みたかったので、商業映画で制作部の仕事をしながら、自分で企画した映画のプロデューサーをしていた時期に出会ったのが『枝葉のこと』でした。 最初は知り合いの助監督に頼まれて制作部として参加していたのですが、ロカルノ国際映画祭にノミネートされ、劇場公開を目指すというタイミングで、「プロデューサーとして一緒にやらせて欲しい」と監督に打診しました。 実は仕上げにも関わっておらず、完成版はロカルノで初めて見たのですが、立ち上がれないぐらいの衝撃を受けました。自分が参加していた作品は、ここまでの強度を持ったものだったのだと。 劇場公開時には、毎晩のように上映後トークイベントを企画し、名だたる映画監督たちに登壇して頂きました。その甲斐もあって、自主制作映画としてはかなり多くのお客様に作品を届けることができ、高い評価もいただきました。 ただ一方で、公開期間中はどうしても現場制作部の仕事はできないので、その年の年収は前年の半分ぐらいになっていました……。どのプロデューサー、監督も同じだと思いますが、今の日本の映画業界では、主体的に作品に関わると収入が減ってしまうことがほとんどです。そうすると、コンスタントに作品を世に出すことは難しくなってしまいます。 多くのインディーズ映画の監督が自己資金と助成金のみで作品を作っています。クラウドファンディングができてからはそれに少し足すぐらい。自分の作品の場合は、監督が過去に入選した映画祭の審査員の方が、応援する趣旨で出資して下さったということもありました。ほぼ寄付に近い形で、ビジネスという感じではありませんでしたね。 出資があったとしても、その理由は、例えば所属俳優の主演実績を作ることや、海外映画祭で受賞してバリューを上げたいなどの目的であることが多いように感じます。