「失語症の父と話したい」16歳娘の想いと挑戦…自作した“会話の支援機器”に懸けた願いとは
岡山に住む高校2年生、藤原咲歩さん(16)。はんだごてを使い、何かを作っているようだが、よく見ると机の横には大きな3Dプリンターや、電流を計る機械、女子高生の部屋とは思えないものばかり…。 【映像】失語症の父を支える16歳娘の日常生活 咲歩さんの父・藤原一弘さん(44)は、5年前の39歳の時、脳出血で倒れた。一時は危険な状態にも。その後、意識は戻ったが、右半身に麻痺が残り、「失語症」と診断された。 失語症とは、病気や事故で脳の言語中枢が損傷し、話す、書くなどで言語を伝えたり、聞く、読むといった理解することさえも困難になる状態。患者数は全国で50万人いると言われているが、どういう障がいかさえ知られていないのが現実だ。その度合いも人によって様々だそうだ。 咲歩さんは「話しかけても当時は何も答えてくれないし、黙ったままの父、動かない父を見て本当にショックで…」と振り返る。自分たち家族の生活はお父さんを中心に回っていても、当の本人はなんの反応もない。やり場のない気持ちは徐々に詰まり、「”もう私なんかいなければいい、もういいよ”と言った時にすごい腕を掴まれて“駄目、駄目”と父の発することのできる精一杯の言葉をもらった」と述べた。
一番もどかしく思っているのは、お父さん本人だと知った咲歩さんは「昔のように話したい」という想いから、ある装置を作った。その名も『チット』。指先のボタンを押すと、「なんで?」「いつ?」「どうだった?」「どこで?」という、3W1Hを尋ねる音声が流れる。 咲歩さんは「例えば“ご飯食べた?”“うん”で終わってしまっていた会話を“ご飯食べた?”“うん”、その次を“どうだった?”という、次の会話へ踏み出すのがチットの役割だ」と説明した。 途切れた言葉の意図をどう繋いでいけばいいのか。失語症の父と話をしたいと願う咲歩さんと一弘さんとともに『ABEMA Prime』で考えた。
■失語症の父を支える16歳娘「一緒に卒業式に行きたい」
一弘さんは2019年10月、出張先の大阪にて、 脳出血で1人車内で倒れる。6時間半後、通報により警察が発見し救急搬送。3週間の昏睡状態ののち目覚めるも、右半身麻痺の失語症に。 脳出血を起こした原因について、咲歩さんは「元々父に高血圧があったが、当時39歳だったので、まだ若いし大丈夫だということで、父の場合は病院に行かず、放置してしまっていた」と話す。 当時について「私と兄弟たちは父と向き合うことがすごく難しかった。その中でも母が前向きに、次は右手を動かせるようになろう、次は左手を動かせるようになろうとか、次はごはんを自分で食べられるようになろうと、できることを増やしていってくれた」と振り返る。 一弘さんの症状は「聴く」ことはできるが、「書く」「読む」「話す」が難しいという。「父の失語症の場合は助詞を補うことが、受け取る側が必要になる。単語は話せる。そこを切り取って、何を言いたいのか察してあげたり、感じ取ってあげることが大切になる」。