幻の巨人入り…花のお江戸で勝負じゃい 契約金は千円札2千枚、母「悪いことしたんか」 話の肖像画 元プロ野球選手・張本勲<10>
《甲子園出場の経験はないが、資質は高く評価されていた。昭和32年、幻の巨人入り…》 【写真】記念写真に納まる張本勲さん、王貞治さん、原辰徳さん、巨人の阿部慎之助監督、ソフトバンクの小久保裕紀監督 2年生の夏、1学期が終わったとき、実は巨人から誘いを受けたんです。当時の浪華商前監督でまだ野球部長だった中島春雄先生から学校近くにある喫茶店「らんぶる」に呼びだされました。そこに巨人監督の水原茂(当時・円裕)さんがおられたんです。中島先生と水原さんはシベリア抑留時代の戦友だった。そりゃもう、びっくりしました。プロ野球界の大監督ですからね。 前の年(31年)、浪商から坂崎一彦さんが巨人に入団したのも水原さんとの縁らしい。坂崎さんと同期の山本八郎さんも巨人に入りたかったらしいですが、すでに東映(現日本ハム)に決まっていた。浪商OBで米川泰夫さん(通算132勝142敗)という投手が山本さんをかわいがっていた。米川さんは最後の年は西鉄(現西武)でしたが当時、東映でプレーしていたという〝つながり〟があったんです。 《ドラフト制度以前は自由競争。人間関係が大きく左右、そしてお金事情も…》 誰とは言わないが、OBから小遣いをもらっていたという選手の話はよく聞きましたよ。実家の商売がよくないといえば、金を渡したとか。そりゃ目の前に大金を積まれ、現金を見せられれば、家族だってびっくりしちゃったとかもある。選手は何も言えない、黙るしかない。選手を責めるわけにはいきません。そういう時代だった。 《幻の巨人入り…》 巨人に誘われ、「ぜひ入団させてください」と言いました。すぐに広島でタクシーの運転手をして仕送りしてくれた兄に相談したら、「高校だけは卒業してくれ。野球がダメでも高校さえ出ておけば、就職がある」と。私は父を早くに亡くした。父親代わりの兄には逆らえません。泣く泣く納得しました。でも水原さんから直接、声をかけてもらった。自信になりましたね。その水原さんとは後に東映で一緒になる。これも縁ですね。 《浪商の3年間、公式戦出場は2年生の秋だけという短期間だったが、10球団から誘いが。33年11月6日、東京・京橋の東映本社で入団発表。席上、「私は長嶋(茂雄)よりもよく打ち、長嶋よりもよく走れると思う。彼にかなわないのは契約金だけ」の名言?! その年に入団した長嶋さんの契約金は1800万円といわれた》
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