『96時間』円熟の名優と若き職人たちが作り上げた傑作アクション
高まっていた「プロっぽい」アクションへの需要
『96時間』を振り返る際に、まず注目したいのは当時のアクション映画の流行だ。ゼロ年代のアクション映画は『マトリックス』(99)以降になる。同作は香港式のワイヤーアクションと銃撃戦に、VFXを多用した現実離れしたスペクタクルで、アクション映画界に革命を起こした。しかし革命に代償はつきものである。二匹目のドジョウを狙った作品が乱発された。猫も杓子もワイヤーでビュンビュン飛び回り、とりあえずスローモーションになってカメラがグルグル回って……そんな映画が世に溢れると、今度はそのカウンターが登場する。いわゆる、リアリティに重きを置いたアクション映画だ。 観客が「本物っぽい」「プロっぽい」と感じる映画。とにかくド派手に乱射するのではなく、素早く確実にターゲットを仕留める銃撃に、功夫映画的な流麗さよりも、急所を狙ったり骨を折ったり、より痛みを感じる生身っぽい格闘。こういったアクション映画の代表作を上げるなら、トム・クルーズが殺し屋に扮した『コラテラル』(04)、記憶喪失のスパイの活躍を描いた『ボーン』シリーズ(02~16)などだろう。どちらも派手な技はないが、素早く相手を無力化するアクションで観客を魅了した。 さらに映画ではなくドラマの方に目を向けると、「24 -TWENTY FOUR-」シリーズ(01~14)が社会現象的なヒットを巻き起こしていた。テロを阻止するために頑張る特殊工作員を、24時間リアルタイムで追うドラマで、主人公のジャック・バウアー(キーファー・サザーランド)のブチキレ具合は今でも語り草となっている。こちらのアクションもリアル指向だったが、それ以上に、時には被疑者への拷問すら行う情け無用のバウアー捜査も話題となった。 最小の動きで敵を確実に仕留める銃撃、一秒でも早く敵を無力化する格闘術、そして悪党への情け容赦ない追い込み……こういったアクション映画が、ゼロ年代から一つの潮流として出来上がっていった。そして、『96時間』が公開される2009年を迎えるわけである。こういった要素がウケる土壌が出来上がっていたことは、同作の大ヒットと無関係ではないだろう(少なくとも日本では、「24」が念頭にあったことは確かだ。そうでなければ『96時間』という邦題のように、明らかに乗っかりにいった放題にはなっていないだろう)。 しかし、いくら土壌が良くても、肝心の中身が伴わなければ無意味だ。ここからは『96時間』の中身について考えていきたい。