ホンダと日産の統合を5年前から予言していた男 現代の「薩長連合」が結ばれた転換点とは
日産自動車とホンダの経営統合をいまから5年前に予言した男がいる。元朝日新聞記者の井上久男。自動車業界の名物ジャーナリストである。 【5年前の記事】ホンダと日産の統合を予言した記事の写真はこちら結ばれた転換点とは クリスマスイブ前日の2024年12月23日夕。東京・京橋の記者会見場には日本中のメディアがつめかけた。 壇上の中央にはホンダの三部敏宏が立った。その右隣に日産自動車の内田誠が、左隣には三菱自動車の加藤隆雄が立つ。3人の社長のうち誰が新しい盟主なのか、その配置でわかる。 かくして記者会見は終始、ホンダのペースで進んだ。 日産とホンダは昨年3月、自動車の知能化・電動化にむけた戦略的なパートナーシップを締結し、協業の検討開始を公表。8月にはさらに知能化・電動化の要となる「ソフトウェア・ディファインド・ビークル(SDV)」に向けた基礎的な共同研究契約を結んでいた。 そこから一気に「経営統合」にむけた基本合意に進んだ。お付き合いをしていると宣言していた両社が、いきなり婚約したような格好だ。発表によれば、共同持ち株会社を設立し、その傘下に日産とホンダがぶら下がる。三菱自動車も1月末をめどに、経営統合に参画するか否かの結論を下すことになる。 ■社長はホンダから選定 三部は会見が始まって10分ほど経ったころ、さりげなく言った。 「共同持ち株会社は設立時点において、その取締役の過半数をホンダが指名するとともに、代表取締役または代表執行役社長のポストを同社の中から選定する予定です」 ホンダ支配を明言した瞬間だった。 それを感慨深く聞く白髪のベテランジャーナリストがいた。 井上久男(60)。182センチ、83キロの偉丈夫。福岡県豊前市出身、九州大卒、NEC勤務を経て1992年朝日新聞社に入社。95年にトヨタ自動車を担当して以来、2004年に朝日を退社後も自動車業界をウォッチし続けている。著書に『日産vs.ゴーン』『自動車会社が消える日』(ともに文春新書)などがある。 「国際的な合従連衡など動きがダイナミックなうえ、カルロス・ゴーンやトヨタの奥田碩さん、スズキの鈴木修さんら個性的な経営者に魅かれました」。そこが長年、自動車記者を続けてこられた醍醐味という。 朝日の経済部記者時代、パリへ旅立つ日産社長(当時)の塙義一を成田空港で捕まえ、「ルノーと提携ですね」と切り込んだ。塙は一切言質を与えなかったが、笑顔だった。井上はその日、99年3月13日の夕刊で「日産・ルノー、提携へ」と超弩級のスクープを全世界に放った。