5ヵ月経ったいまも癒えない「能登半島地震」惨状の爪痕…避難者はいまだ3000人超え「ここにはもう住めない」
地震から5ヵ月経った能登半島のいま
最大深度7を観測した能登半島地震が起きて6月1日で丸5ヵ月。どこまで復興が進んでいるのかを取材するため、能登半島に車で入った。 【閲覧注意】マンガ「南海トラフ巨大地震」…震災における恐ろしい「4つの死因」 地震で倒壊した家屋や火事で焼け落ちた街並み、そして大規模な崖崩れに隆起した海岸。5ヵ月経っても、地震が起きた時のままの状態が多く残っているように見えて驚いた。取材先で話を聞いた何人かの口から出たこの言葉が胸に突き刺さった。 『見捨てられた能登』 ある人は「そもそも地震の前から高齢化して過疎化している」と言い、またある人は「大きな産業もないし人口も少ないので、復興にお金を掛けるのかと言われている」と胸の内を語ってくれた。 金沢で車を借りて、能登半島の最先端に位置し被害の大きかった珠洲(すず)市に向かった。車で2時間半ほどの距離だ。 『のと里山海道』という自動車専用道路を通るのだが、地震で道路の一部が崩落するなど大きな被害を受けており、一部区間が北行きだけの一方通行だ。しかも、通行できる道路でも復旧工事が続いており、路面は所々で波打ち、一部で蛇行が続くのでスピードは出せない。 能登半島の復興がなかなか進まない理由の一つは、アクセスが限られる半島という地形で大動脈の道路が大きな被害を受けており、復興物資や重機などの復興ための機材が奥能登にいまだに大量に運べていないことだという声も現地で聞いた。
「海から離れたくない」
能登半島地震の石川県の被害状況は、死者260人(輪島市112人、珠洲市111人など)、住宅被害8万918棟、避難者3319人となっている(5月28日現在)。 能登半島の東側の内海に面し、地震と津波で大きな被害を受けた珠洲市宝立(ほうりゅう)町では、地震や高さ3メートルの津波で崩れた家屋の多くは撤去されないままになっていた。 「もうクタクタです。家も壊れて水も来ていないので、ここにはもう住めない」 家族で金沢に避難していて、この日は自宅の荷物を取りに来ていた女性は疲れ切った様子で話してくれた。 避難所となっている地区の学校で、避難所の中の様子を見せて欲しいとお願いしたが断られた。神戸、東北、熊本などで震災をこれまで取材してきたが、避難所に入ることさえ許されなかったのは初めてだ。それだけ厳しい状況ということなのだろうか。 地震で自宅が全壊して、この避難所で夫と小学生の息子と暮らしている30代の女性が、避難所での生活について教えてくれた。 「小学校の教室で暮らしています。段ボールベッドなので背中が痛く、ぐっすり眠れない。今は仮設住宅を申し込んで待っています。 避難所には当初は800人ほど居ましたが今は60人ほど。水と電気は来ていますが、下水がダメで仮設トイレです。食事は炊き出しと惣菜。自分の手で料理を作りたい。夏になって暑くなると、匂いが心配です」 珠洲市役所でも、トイレは使えず駐車場に仮設のトイレが並んでいた。街中では開店している飲食店はほとんど見かけなかったが、コンビニエンスストアは営業しており商品もたくさん並んでいた。 同じ珠洲市内で、がけ崩れなど甚大な被害が出ている日本海側に面した大谷町に向かったが、国道が土砂崩れで何か所も通行止めになっているため山道を迂回した。日本海側に出ると、目に飛び込んで来たのが白くなった海岸線だ。 能登半島北西の日本海側では、“数千年に一度”と言われる地殻変動が起き地盤が隆起して、海中にあった白い岩が海上に顔を出している。海岸に降りて手に取ってよく見ると、白い海藻の様なものがこびりついていた。 海沿いの国道を西に進むと、大規模ながけ崩れで道路が完全に埋まって通行止めになっていた。そのすぐ手前の自宅に住む70代の男性に話を聞いた。 「地震でもの凄く揺れて、避難する時に海を見たら海底が隆起していて、何が起きているのか分からずパニックになった。危険なので妻は避難したが、今もここに1人で住んでいる。海から離れたくない」