5ヵ月経ったいまも癒えない「能登半島地震」惨状の爪痕…避難者はいまだ3000人超え「ここにはもう住めない」
その日暮らしの漁師たち
朝市から車で5分ほど走ると輪島港がある。石川県内で最大の水揚げを誇る輪島港でも、地震で地盤が1~2メートルほど隆起し水深が浅くなったので、約200隻の漁船が今でも漁に出られない状況が続いている。 港内では海底を掘り下げる作業が行われていた。漁に出られない若い漁師たちは震災廃棄物の仕分けや土木作業に行き、その日暮らしを続けているという。 「刺し網でアジ、タイ、カワハギなどを獲ってきた。地震が来た時に津波が来ると思ったので船を港の外に出そうとしたが、隆起したので出られなかった」(地元で50年間、漁をやっている70代の漁師) 取材を進めて行くと、“高齢化”“過疎化”“見捨てられた”などといった暗い言葉を聞くことも多かったが、地元の復興に向けて前向きに動き出している人たちにも出会った。 珠洲市内の避難所で家族と暮らしている地元の見附島観光協会の宮口智美さん(38)もその一人だ。今年4月には地震で開催が危ぶまれた地元恒例の『桜まつり』を企画した。 8月には『宝立七夕キリコまつり』の開催を目指している。キリコとは切子灯篭(きりことうろう)のことで、高さ14メートルほどのキリコを担いで練り歩き最後は海に入り松明を目指して海中を乱舞するという勇壮な祭りだ。 8基あったキリコは地震や津波で多くが失われ残ったのは1基のみだが、何とか今年も開催したいという。 「地震の前に能登から出て行った人も、地震で能登から別の地域に避難している人も、祭りを能登に帰って来るきっかけにして欲しい。昔からの祭りに加えて、輪島塗や炭焼き、塩づくりなど地元の伝統を残していくのが大事だと思っています」 自宅が全壊し避難所暮らしが続く宮口さんに、厳しい状況の中で地域の復興に力を入れる想いを聞いた。 「周りの人に喜ばれることが生きがいだから。自分にしかできないことをやりたい」 これまで各地で起きた震災での現地取材では、時には復興が遅いと指摘されながらも、現地に取材に入る度に徐々に復興が進む様子を見て来た。 それらに比べて、能登半島の復興はあまり進んでいない様に感じる。今後も、能登半島の復興を見続けていきたい。
春川 正明(ジャーナリスト)