5ヵ月経ったいまも癒えない「能登半島地震」惨状の爪痕…避難者はいまだ3000人超え「ここにはもう住めない」
錆びて赤茶けた、むき出しの焼け跡
1日目の取材を終えて車で金沢まで戻ったが、先述したように自動車専用道路の一部区間では南行きが通行止めのため、行きより1時間ほど長く約3時間半掛かった。 奥能登では営業している宿泊施設も少なく、復興作業に取り組んでいる方々の迷惑になりたくなかったので金沢まで戻って宿泊することを選んだのだ。アクセスの悪さを実感した。 翌日は、震災報道で何度も大きく取り上げられた輪島市にある輪島朝市を目指した。今回の地震では珠洲市と輪島市の被害が甚大だったので、両市に関するニュースを多く見かけた。 輪島市では、有名観光名所でもある輪島朝市が火災で全焼したため、輪島の被害と言えば朝市という印象だったが、輪島市内の他の場所でも各地で数多くの崩れた家屋を見かけた。市内の道路の大きな交差点では、地震で横倒しになった7階建てのビルが撤去されずにそのまま残っていた。 今回の取材では各地で崩れた民家を数多く見たが、その多くは木造で古い家という印象が強かった。そして車が通っている道路でも、今もあちらこちらで亀裂や陥没、歪みなどが残っているのも目立った。 輪島朝市の火災現場は5ヵ月経ってもほぼ手つかずのままで、時間が止まったようだった。焼け焦げた車や建物の金属部分が錆びて赤茶けていた。焼け跡をじっと見つめていた金沢から来たという男性に話を聞いた。 「復興なんか出来るんですかね。そもそも高齢化している地域だし、どうしていいのか分からないのでしょうね。 同じ会社の若い人たちは、能登から金沢に避難しているが『もう能登には帰らない』と言っている。輪島で働いていた時によく来た場所だからね、いつまでも朝市が続くと思っていた」 朝市があった商店街に店舗兼自宅を持つ70代の男性が、焼け落ちて土台だけになった店を見に来ていた。 「商店街の若手は市役所と話し合いをやっているが、(焼け落ちた)商店街の人達だけでなく、この地区に住んでいて今は仮設住宅に居る(商売をやっていない)地元の人たちの声も聞いて欲しい。どうやってガレキを撤去して街づくりをするかという役所の説明会が一度も無いのはおかしい。 5ヵ月はあっという間だった。(復興に向けて)何かをしたいけど、何をしていいのか分からない」 地震が起きた後に朝市が燃えているのを高台から見ていて、この日初めて朝市の現場に来たという地元に住む70代の女性が、全国の人に知らせて欲しいと話してくれた。 「これまで気の毒でここに来られなかった。5ヵ月経っても何ひとつ変わっていない。『見捨てられた能登』『陸の孤島』と地元の人はみんな言っている。能登地震のニュースも最近はやらない。地震の前から高齢化して過疎化している。私たちが生きているうちには復興しない」