日本社会の「体育会系精神」は学校教育で養われてきた? 運動会「子どもの組体操」に感動する大人への“違和感”
「感動」をねじ込んで言うことを聞かせている
ピラミッドや組体操が再三危険だと言われているにもかかわらず、その人気が根強いのは、出来上がったピラミッドを見て「感動」する大人が多いからだとか。 「小さかったあの子が、お友達と一緒に毎日頑張って、みんなと力を合わせてこんなことまでできるようになったのね…(ホロッ)」といった感慨に親たちはふけるのです。 これはこれで気持ちは分からなくもないのですが、目の前のピラミッドがいつ崩れて怪我人や死亡者が出るか分からないような状況で、ホロッと涙している場合なのでしょうか。私が親なら絶叫します。 こんなことを書くと、しょせん西洋人には日本人の心というものが分からないのだとお叱りを受けそうですが、わが子の成長について、もちろん欧米でも感動する親はいます。 ドイツの学校にはピラミッドや組体操はありませんが、日本でいう七五三にあたるとも言える教会の行事「堅信」(ドイツ語Firmung、自らの意思でカトリック教徒でい続けることを選ぶ思春期ぐらいの子を対象に行われる行事)で、ウルウルしている親はけっこういるのです。 ドイツで行われる「堅信」はだいたい子どもが13、14歳ぐらいの年齢で、正装してすっかり大人並みに体格の良くなったわが子を見てウットリするというわけです。堅信で教会に行くと、あちらこちらから鼻をかんでいるような音が聞こえてきたりします。 「感動」は、頻度としては西洋文化圏よりもニッポンでよく見られる現象であることは確かなのですが、「子どもの成長にこみ上げてくる思い」というのはどこの国も共通しているものだと思います。 ただ、学校などの教育現場で「感動」が登場する数は圧倒的にニッポンが多いです。というよりも、いたるところに「感動」なるものをねじ込んで子どもに言うことを聞かせている印象です。小学校の読書感想文では「感動しました」と書くと大人に喜ばれる傾向がありますし、とにかく感動するのはいいことで、そのためにはなんでもありという印象を受けます。