石川県・珠洲市の銭湯を継承中に被災。崩れた街で葛藤しながら生きる移住者の現在地
2024年元旦に起きた能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県珠洲市。能登半島の最先端に位置し、人口1万3000人弱の“本州で最も人口の少ない市”としても知られている。 ▶︎すべての写真を見る 過疎化と高齢化に悩む中、2017年に開催された奥能登国際芸術祭を機に移住者が増えはじめ、2022年には86人が転入。その約8割は20~30代の若年層だ。
北海道出身の新谷健太さんも移住者のひとり。震災で上下水道が機能しない中、海岸に面した銭湯「海浜あみだ湯」を再開させたことで話題となった若者である。彼が語る、珠洲市の魅力とは。
地元民の“生きる力”に魅せられた美大時代
北海道・北見市に生まれ育った新谷さん。一浪して念願の金沢美術工芸大学へ進学し、金沢で学生生活を送った。初めて珠洲へ足を運んだのは大学時代に遡る。当時所属していたサッカー部での活動がキッカケだったそうだ。 「珠洲には部の合宿で使うキャンプ場があって、毎年来ていたんです。そのうちアートプロジェクトのゼミやリサーチでも珠洲へ来る機会が増え、地元の人とも話すようになりました。 おばあちゃんがひとりでやっている何千ヘクタールもの棚田が、もうアート作品のように美しいんです。自分が絵を描くときは身長くらいのキャンパスでも精一杯なのに、すごいな……と、筆が折られました」。 美しい棚田だけでなく、暮らしに必要なものをクリエイトする住人たちが、新谷さんの目には“アーティスト”に映ったという。
「珠洲では醤油や味噌、お米に小豆、海でアワビを採るための道具も自分たちで作ります。ここは陸の孤島なので、自然と共存するしかないんです。誰しも“生きるためのスキル”を持っていることが僕にとっては強烈でしたね」。
珠洲に惚れ込み、都会での暮らしに魅力を感じなかった新谷さんは、大学卒業後に移住を考えた。結果、大学の友人である楓さんと物件を探し、ふたりで空き家を購入。地域おこし協力隊の制度を利用し、2017年に珠洲に移り住んだ。