石川県・珠洲市の銭湯を継承中に被災。崩れた街で葛藤しながら生きる移住者の現在地
「珠洲の上下水道はすぐに復旧できない状態でした。だからこそ、地元の人に少しでも日常を取り戻してほしいという思いで、仲間たちと1月19日にあみだ湯を再開しました。 みんな今年初のお風呂です。その後、道路が通れるようになり、2月にはお客さんから、『この1カ月ずっと生きた心地がしなかったけれど、やっと心と体がくっついた』と言われたのが印象的でした」。
葛藤もあるが長期戦も覚悟
珠洲市内の多くのエリアでは、3月になっても上下水道が復旧せず、家屋も倒壊したままだ。日常生活とは程遠く、被災者の多くは金沢周辺に住居をあてがわれている。新谷さんも最近、金沢にみなし仮設住宅を借りた。しかし、葛藤はあるものの、珠洲を離れるつもりはないという。 「銭湯を守ることにやりがいや使命感はありますが、まだまだ必死。もしも営業中にまた地震があった場合、お客さんをどう逃せばいいかということはずっと考えています。 今はまだ銭湯が必要とされていますが、2年経ったらまた状況も変わると思います。風呂を炊くのも入浴するのも好きだけどお金がないと生きていけないので、金沢との2拠点生活になると思います」。
新谷さんは今後、銭湯を利用した「ボイラーラーメン」を作ったり、珠洲民謡のアーカイブを作ったりするなど、活動の幅も広げていきたいと話す。 銭湯の事業継承の形はわからないが、運営は続ける意向だ。最後に、彼の原動力を聞いてみた。 「やっぱり地元の子供たちが原動力です。高校生なんかは、実際に銭湯の番台に入って手伝ってくれていますしね。 彼らが地域の人たちと話して、繋がって、珠洲で何かやりたいと思ってくれたらうれしいです。教育と安全性を考えると遠くに避難せざるを得ないかもしれませんが、地元の子には珠洲を誇りに思ってほしいと思います」。
◇ 有事への備えは平時に、とはよく言うが、人との繋がりや取り組みも日常の積み重ねがあってこそ。 創造力あふれる珠洲市民に惹かれて移住した新谷さんは、いつしかその一員として持ち前のクリエイティブを発揮し、復興の動力源となっていた。 松田咲香=写真 池田裕美=取材・文
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