石川県・珠洲市の銭湯を継承中に被災。崩れた街で葛藤しながら生きる移住者の現在地
老若男女、珠洲の人たちと交流を図る中、地元の銭湯「海浜あみだ湯」からは「お父さんがもう膝が悪くてねぇ、誰か手伝ってくれないかしら」と雑談まじりで相談されていたという。 「最初は『手伝うくらいならいいかな』と軽い気持ちで引き受けたんです。ボイラーの操作法をマスターしたり、薪を割ったり、常連客と馴染んだり。でも、だんだんお父さん(あみだ湯の店主)の調子が悪くなってきて、2023年からは実質的に僕たちが運営を担ってきました」。
ボイラー作業を担う新谷さんを中心に、北澤さんらガクソー仲間が有志であみだ湯を運営し、2024年には事業の継承も予定していたようだ。大地震が発生したのは、そんな矢先のことだった。
自ら被災しながらも19日であみだ湯を復活
2024年の元旦の地震による被害は壊滅的だったが、実は珠洲市では2022年6月に震度6弱、2023年5月にも震度6強の地震に見舞われていた。 昨年の地震では新谷さんが不定期営業していた飲食店も被災し、営業ができなくなったという。 「昨年の地震ではインフラは大丈夫でしたが、珠洲に住めなくなるんじゃないかとは考えましたね。震度1ぐらいの地震がずっと群発していたので。珠洲を出ようとは思わなかったですが、防災グッズは揃えましたし、ガクソーの活動拠点を金沢や東京に持つことも考えました。 ただ、昨年末は秋の芸術祭を開催したりするなど、慌ただしく過ごしているうちに今回の地震が起きてしまったんです」。 新谷さんは日頃からガクソーの仲間たちと活動拠点について話し合ったり、情報を得たりしていたという。
「今回の地震が起きたとき、『この街は終わった』と思いました。僕は自宅で被災して小学校に避難したのですが、翌2日に仲間たちと合流して、3日になってあみだ湯に行ってみたら津波の被害を受けていなかったんです。配管やポンプの損傷、井戸の陥没はありましたが、意外と被害は少なかった印象です」。 あみだ湯では地下水を利用し、ボイラーには建築廃材も含めた薪を利用しているが、このアナログ仕様が功を奏することになる。上下水道やガス、重油などに依存していなかったことで、比較的速やかに復旧できたのだ。 「1日でも早く銭湯を営業再開できるように水道業者に配管の応急処置をしてもらいました。それからガクソーの仲間たちと避難所になっている高校で子供たちの居場所づくりも同時に動いていき……とにかく目の前のことに必死で対応していきました」。 物資の不足にも大いに悩まされた。一時は10人で2リットルの水を分け合わねばならないほど追い込まれたが、それでも新谷さんらガクソーのメンバーは奔走した。 地元の子供たちの多くが金沢に避難したこともあって、ガクソーも金沢と珠洲と二手に分かれて活動することになった。