“1ドル=240円時代”米ツアー取材の過酷実態とは!? 昭和のゴルフ記者は“命の危険”を冒して岡本綾子を追った【小川朗 ゴルフ現場主義】
「プラザ合意」はなぜ20分で決したか
経済アナリストの伊藤理さんは、当時の状況をこう解説します。 「プラザ合意を契機にして一気に円高ドル安になって、日本では自動車をはじめとする輸出産業が大打撃を受けました。日本円の場合は1ドル240円だったのが、翌年には一気に150円まで暴騰しました。これによって輸出産業、特に自動車産業が打撃を受けて円高不況になりましたが、この円高は悪いことだけではなく、他方では原材料が安くなって国内消費が促進しました。つまりこの円高は、消費者にとっては好ましいことだったわけです。輸出業は円高になると海外で売れなくなりますから、輸出産業の打撃を和らげるために超低金利政策を取った結果、企業や個人による資金需要が大いに活性化しました。安く借りられる大量のマネーが株式や不動産などの投機市場に流れ込んで、バブルをもたらした後、1990年代初頭に崩壊しました」
伊藤さんは、続けて自らの見方をこう明かしました。 「大蔵大臣の竹下登氏がプラザホテルに呼び出された蔵相会議ですが、歴史に残る合意がたった20分程度で決まるものなのでしょうか。米国債を買っているのは日本政府だけじゃなく大手生保も同様です。その米国債に膨大な含み損が出て日本生命や第一生命、住友生命などが経営破綻の危機に陥った場合、日本経済が破綻してしまう。含み損と相殺させるために、彼らの株や不動産の価格を吊り上げる必要があって、政府、日銀による長期低金利政策を意図したのではないでしょうか」 大手生保を救うための政策。それが1980年代「昭和の円安」の裏にあったという見方です。一方で現在進行形の「令和の円安」について伊藤さんはこう解説してくれました。 「当時のアメリカ大統領は、共和党のロナルド・レーガン。民主党は金融業とか情報産業が地盤で、共和党は製造業が地盤です。金融・情報産業にとってはドル高が良くて製造業の人たちはドル安にしてほしい。だから民主党政権の時はドル高になりやすくて、共和党政権の時になるとドル安になりやすいという傾向はあるわけです。現在は民主党のバイデン政権。円安に誘導されていくのは自明の理、ということになります。今は株価4万円になって所得格差がすごくつき始めて、アメリカ的になってきているんですよ」 日本のアメリカ化、とは外国人投資家の持ち株比率が50%を超えたことが原因だというのです。 「よく出てくるチャートで、日本だけ実質賃金伸びてませんよ、というのがありますよね。各国が確実に伸びているのに日本だけがずっと横ばい路線を続けている。一般に『失われた30年』と言われるんですけど、これは一面的で本質は突いていないと思う。輸出産業は1ドル100円でも利益が出る体質を作るために人件費を含めた大幅なコストカットをやったんです。で、1ドル100円でも利益が出る体質を作ったのに、それを従業員に還元することは一切やってないんですよね。企業はただひたすら内部留保を積み上げているだけ。これだけ内部留保が積み上がったら、当然給料に還元できたはずなんですよ。日本だってフランスとかドイツとかアメリカとか、英国とかのような路線になったはずなんですよ」