語り始めた92歳の被爆者 パールハーバーへ 憎しみ乗り越えて 広島・平和公園との「姉妹公園協定」の地で被爆証言
中国放送
この春から原爆の体験を語り始めた92歳の被爆者が、ハワイのパールハーバーを訪れました。今回の訪問は、平和公園と姉妹公園協定を結んだパールハーバーを知ろうと、企画されたものです。現地を訪れた被爆者の思いを取材しました。 【写真を見る】語り始めた92歳の被爆者 パールハーバーへ 憎しみ乗り越えて 広島・平和公園との「姉妹公園協定」の地で被爆証言 ◇ ◇ ◇ 92歳の被爆者、才木幹夫 さん。13歳のとき、爆心地から2.2キロの自宅で被爆しました。90歳を超えて「被爆者が伝えなければ」という思いが高まり、4月から被爆体験を語っています。 被爆者 才木幹夫 さん(92) 「あー懐かしい。これは懐かしい」 RCCの社員だった才木さん。ディレクターとして音楽番組などを制作してきました。 証言者になって4か月ー。パールハーバー行きは自ら応募しました。 才木幹夫 さん(92) 「あまり何年も活動ができないなと思っても、できるところは行こうという気持ちはあるわけです」 日本軍の奇襲攻撃で多くのアメリカ兵が亡くなった真珠湾攻撃。パールハーバーは、太平洋戦争の始まりの地として知られています。 広島市は去年、アメリカ政府の提案を受け、平和公園とパールハーバー国立記念公園との「姉妹公園協定」を結びました。しかし、一部の被爆者や市民団体から「米軍の基地にある “戦争の記念館” であり、協定はふさわしくない」として、反対の声も上がっています。 日本とアメリカの戦争の歴史を象徴するハワイ・パールハーバー国立記念公園。派遣団は、現地で交流を深めようと広島市が募集しました。 「被爆者としてこの地で被爆体験を伝えたい」―。そんな思いで応募した才木さんは、若者や87歳の被爆者・八幡照子 さんとともに訪れました。 日系3世 バーンズ・カメオ・ヤマシタさん(72) 「1941年12月、第二次世界大戦が始まり、日本とアメリカは戦争に突入しました」 日系3世の講演で才木さんは、戦時中、日系人が強制収容された歴史に熱心に聞き入りました。 日系3世 バーンズ・カメオ・ヤマシタさん(72) 「日系人としてアメリカの原爆投下はとてもつらい。しかしこれからは、過去を乗り越え、未来の平和を一緒に考えるべきです」