【千利休の末裔が教える “いつも感じがいい人”の習慣】御礼を言う時に「すみません」と「ありがとうございます」どちらを使うべきか
人間関係に悩んだ時、立ち返るべき思考習慣がある。「慮る」「敬う」「感謝する」「ご縁を大切にする」「きれい好き」「わが身に置きかえる」この6つが重要だと、茶人で千利休を祖とする茶の湯の家に生まれ育った千 宗屋(せん・そうおく)氏は語る。 【写真】千利休の末裔である著者の千 宗屋氏
今秋、人づきあいとふるまい方を説いた『いつも感じのいい人のたった6つの習慣』を上梓した千氏は「本来、心地よい立ち居ふるまいやマナーとは、人間関係を良好にするために生まれたものでした。人間関係に悩んだら、日本の先人が生み出したふるまい方や心づかいに、今一度立ち返ってみてほしいと思います」と話す。千氏が語る短期連載。今回は、日本人が大切にしてきた「感謝する」という心について伺ってみた。【全6回の第2回。第1回から読む】
すべてのことに「感謝する」自然へのお供え「木守(きまもり)」とは
「私たち日本人の気質は、この国の風土や自然の影響を強く受けてできあがってきました。自然の恵みに対する感謝の気持ちが、特定の宗教ではなく、森羅万象すべてのものに宿る八百万(やおよろず)の神への祈りとして、自然発生的に生まれてきたのでしょう。 これが、もっと厳しい環境に生きる民族であれば、自然とは闘うものであり克服すべき存在として畏怖されてきたのでしょう。自然崇拝や感謝の気持ちは、地域に残るお祭や小さな風習の中にも形を変えて残っています。 『木守(きまもり)』という言葉があります。柿の木を育てる農家には、収穫時にすべての実を取り尽くすのではなく、自然への感謝としてひとつだけ残しておくという風習があり、その残された柿を『木守』と呼ぶそうです。ひとつ残った実は、鳥がつついてその種を運び、いつかまた別の地に柿の木を増やすかもしれません。それは、人間のためではなく、いわば自然や世の中へのお供えのようなもの。自分ではなく他者が得る利益につながるものなのです」(千氏、以下同)
「おかげさまで」という心持ちで他者との分かち合い
「ちょっと話がそれますが、茶の湯にも『木守』という茶碗があります。わび茶を確立した千利休はある時、弟子を集めて自分が焼かせた茶碗を分け与えました。最後に残ったのが、なんの変哲もないシンプルな赤い楽焼(らくやき)の茶碗でした。もしかすると見た目のインパクトがそれほど大きくなかったため、弟子たちが選ばなかったのかもしれません。ひとつ残った茶碗を利休はことのほか愛し、『木守』と名づけて終生そばに置き、生涯最後の茶席でもこの茶碗を使ったと伝わります。 『木守』の例のように、自然への感謝は他者との分かち合いの心に通じます。小さな島国で自然の恵みをいただき、感謝を捧げてきた私たちは、だからこそ『おかげさまで』という言葉に象徴される礼節を生むことができたのでしょう。そこからは、互いに思いやり、『お先にどうぞ』と譲り合う余裕も育まれました。 感謝することは、人間どうしが争わず、助け合いながら暮らしていくための最良の心得。人と人とが互いに思いやる心の根底には、自然の恵みに生かされていることへの感謝、他者への感謝があることを、忘れてはいけないと思うのです」