ホームランを「捨てた」三冠王──WBC初代世界一の4番・松中信彦の「フォア・ザ・チーム」の精神
勝つためにバットを10グラム軽くした
バットの先端をくりぬき、10グラム軽い920グラムに変えた。1円玉10枚ほどの差だが「10グラムでもヘッドスピードは上がる」。軽くなったぶん、ボールは遠くへ飛ばなくなる。ホームランは捨てたのだ。 ただ、速くバットを振れるようになることで、ボールを見極める時間的な余裕が生まれた。コンパクトなスイングで、走者がいれば生還させることを考え、いなければ自分が出塁しようと考えていた。 「ホームランを狙うより、つなぐ気持ち。自分の成績は二の次だった。求められるのは世界一。そのために自分ができることは何かを考えました」 韓国との準決勝で放った一打の裏にも、そんな松中の思いがあった。結果、この大会で松中はイチローよりも1本多い13安打を放って、打率.433をマーク。王ジャパンの世界一に大きく寄与することになる。ホームランは1本もなかった。
アトランタ五輪で学んだ「フォア・ザ・チーム」
当時、日本ではシーズン40本以上のホームランを放ち、球界屈指のスラッガーとして名を馳せていた松中がなぜ「フォア・ザ・チーム」の精神を持つことができたのか。その源流は、1996年のアトランタ五輪、キューバとの決勝にあった。 当時、社会人野球の新日鉄君津に所属していた松中は、この時も日本代表の4番を務めていた。井口、今岡、谷と秋に控えたドラフトの有力選手も多く、正直、最初は「アピールしたい」という浮ついた気持ちもあったという。ただ、そんなプロ予備軍の目を覚まさせたのは「ミスターアマ野球」と呼ばれ、長らく日本代表のエースに君臨し、28歳になっていた杉浦正則だった。 「おまえたちは、これからプロに行くかもしれない。俺たちは最後(の五輪)だという気持ちで来ている。キューバを倒すためにはどうしたらいいのかだけを、考えてくれ。ここはアピールする場ではない。メダルを取りにきているんだ」 その言葉を聞いたとき、松中は心の中を見透かされているようだったという。 「打てなかったら補欠。補欠になったら声を出して盛り上げ役になる。やることはいっぱいある。優勝が一番の目標になる。それをアトランタ五輪で教えてもらった」 松中が一時は同点に追いつく満塁ホームランを放つも、キューバに惜敗。金メダルには届かなかったが、この経験は10年後、WBC「王ジャパン」の世界一につながる。