「遺体はすでに硬直し、足は曲がったままで…」秋田でクマに襲われ死亡した男性の「第一発見者」が明かす「恐怖の現場」
クマに襲われ警官2名を含む計3人が死傷
秋田県鹿角市(かづのし)大湯の山中で、一人の男性が亡くなった。佐藤宏さん(64歳)。5月15日、この時期に旬を迎える根曲り竹を採りに、妻と親族女性とともに現地へ向かったあと、一人で山に入ったのちに行方がわからなくなった。通報を受けた地元の警察と消防は3日間捜索を続けたが、佐藤さんの姿を発見することができなかった。 【写真】頭部に命中した3発で…絶命した最凶ヒグマ「OSO18」の最期 これまでの報道では、行方不明後4日目の5月18日に佐藤さんを発見、現場から搬送する際に警官2名がクマに襲われ重傷を負ったと伝えられている。佐藤さんの遺体はその場に放置せざるを得ず、数日かけて重機を使い林道を広げ、猟友会など多くの人員を配置してようやく運び出すことになった。その遺体は損傷が激しく、妻も見ることができなかったという。 発情期を迎えるこの時期のクマ関連のニュース報道は大きく取り上げられる傾向にあるが、警察官2名の重傷被害を受けたこのケースは、単なる行方不明事案から大きく展開し、多数の報道機関を集める結果となった。 しかし実は、これまでの報道で触れられていない事実がある。亡くなった佐藤さんと長年交流を続けていた「仲間」Aさんの存在だ。 Aさんの独自行動が、行方不明になっていた佐藤さんを山中から見つけ出し、遺体を連れ戻すきっかけになったのだが、重傷者を出したことを重く受け止め、これまで世間に事実を公表することはなかった。 Aさんが語る。
第一発見者の独白
「佐藤さんの身体はすでに硬直をしていて、左右の腕を身体の前に差し出された格好でした。足もまっすぐではなく、膝が曲がったままでした」 Aさんはこれまで15年ほど、佐藤さんと山中で行動をともにしてきた。春先の各種山菜からタケノコ、キノコ類、そして薬草の原材料採取など、レジャーではなく職業として、自然と向き合っている。 そこは、登山愛好家が決して知ることのない奥深い山。登山道もなく、人の気配も絶たれた世界。そこで食物連鎖の頂点に立つのは、ヒトではなくクマになる。 以下、佐藤さんの第一発見者・Aさんの独白をお読みいただきたい。 子どもの頃から父親に山の歩き方、山菜の見つけ方などを教わっていました。山に入るのは私にとって日常のことでしたし、クマが間近にいることも怖いとは思わなかった。 こちらが彼らのテリトリーに入っていることを考えて、礼儀というのかな、これ以上は採ってはいけない、無遠慮に近付いて怖がらせてはいけないという、自然に自分の中ででき上がったルールのようなものはありました。 山菜や漢方薬の原材料を採取するため、私は青森と秋田県の県境を中心に、山に入る生活を長年続けています。熊取平や四角岳がタケノコの時期の定番でした。スーパーK(2016年に4人の男女を襲って喰ったクマ)の騒動があって、それらの山が入山禁止となってしまい、それ以降は発荷峠が中心になっています。今回、佐藤さんが殺されたところです。