日本で見いだした故郷アイルランドの面影|小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーンの妖精紀行
乳母が開いた異界への扉
ラフカディオは神経過敏なほど繊細な子供だった。彼はダブリンの大叔母宅で妖精や幽霊をよく見たと語っている。中でも彼が従妹のジェーンと呼んだ幽霊は顔のないのっぺらぼうだった。まるで彼の著『怪談』にでてくる『むじな』のようだ。 ラフカディオの乳母の出身地コナハトは、キリスト教以前にアイルランドの土着宗教だったドルイド教の賢者や魔術師を多く生み出したとされた地方だ。この乳母が語るドルイド教、ケルト神話、妖精話はラフカディオを興奮させ、彼は神々や妖精が繰り広げる幻想の世界に引き込まれて行く。 ラフカディオは『怪談』に自身の深い洞察を投影しているが、そこにアイルランドのケルト文化と日本文化の共通点を多く見いだしたに違いない。『怪談』の一つ『青柳のはなし』は、まさにアイルランドを彷彿とさせるものだ。 吹雪の山で迷った侍が一軒の家で宿を乞う。そこで老夫婦の娘を見染め、結婚し幸せに暮らしていたが、ある日、妻は突然、苦しみだす。妻は自分が柳の精霊であり、誰かが木を切っていると告げて消えてしまう。衝撃を受け出家した侍が妻の実家を訪ねてみると、そこには切り倒された柳の切り株が3つあったという話だ。 アイルランド人は古代から自然、特に木に精霊が宿ると信じていた。野原に1本立つ木や輪のように並ぶ木にはフェアリー・ツリー(妖精の木)と呼ばれるものがあり、また円形に生えた草はフェアリー・リング(妖精の輪)と呼ばれる。いずれも妖精たちの家と考えられ、それらを傷つけるのは絶対的なタブーだ。妖精たちは人間に幸運を与えることもあるが、彼らを怒らせれば必ず復讐されるとアイルランド人は今でも信じているからだ。不可思議なもの・霊的なものに敬意を払うことはアイルランドでは当たり前なのである。ちなみに『怪談』に出てくるラフカディオの幼少体験の話『ひまわり』には、彼が7歳の時、従兄と『妖精の輪』を探したことが書かれている。