<リオ五輪>女子レスリング、伊調の4連覇偉業を支えた亡き母との約束
ところが、今年1月、遠征先のロシアでプレブドルジ(モンゴル)に敗れ13年ぶりの黒星をつけられたことで、改めて、勝つことと強いことの峻別の必要に迫られた。袋小路に陥りがちな伊調の思考を手助けしたのは、2014年に亡くなった母・トシさんとの対話だった。 「タンスの上に遺影とお水、ときどきお菓子もあげて、折に触れお母さんと話します。生きていたときよりも、よく話しているかもしれない。その隣には1月の銀メダルを置いてあるので、お母さんと話をするたびに負けた試合のことを思い出すんです。お母さんだったら、負けたと聞いてなんて言ったかなあとか。結局、これという言葉は思い浮かばないんですが、きっと、大きな声で『バカ!』って言うんだろうなと思います(笑)」 亡き母はもちろんレスリング経験者ではない。ただ試合をする娘の応援をとても楽しみにし、五輪も現地で応援していた。初めての五輪出場だった2004年アテネでは、点を取られて一時劣勢になった娘が逆転勝利した後「殺す気か!」と叫ぶ姿があった。誰よりも熱心に応援し、娘のみを案じ、それでいてなお勝つことを望んでいた母の真情は、今も娘のなかに残っている。 そして「もっともやりたいのは自分の理想とするレスリングで、金メダルはそれについてくるもの」と公言してはばからなかった伊調が発する言葉の内容が、少しずつ変わっていった。 「五輪は4年に一度の発表会。ケガをしながら思い切った試合ができたロンドン以上によい試合を。そして、とにかく勝つことを優先するのが五輪という場所だと思います」 勝ちにこだわったはずのリオデジャネイロ五輪は、思うように自分から攻撃できない場面が目立った。決勝戦も、一度も攻められないまま終盤を迎え、なんとか逆転で優勝した。4連覇が決まるとセコンドから日の丸を受け取り、マットに傅いた。何度も天を仰ぎ、表彰台の上でも屋根の向こうを見つめるようにまなざしを向けた。 「上を向いて、母と話してから試合に臨みました。最後のチャンスは母がとらせてくれたんだと思う。気持ちで勝てた金メダルです。いつもより重い気がします。たくさんの人の気持ちが入った、自分一人ではとれなかった重いメダルです。これまでで、一番嬉しい金メダルかもしれない」 4連覇まで続けたら、やはり2020年東京五輪で5連覇を、と観る側は欲を出してしまう。 「今は考えられない」という伊調の気持ちが固まるのは、1月に痛めて以来「つきあっていくしかない」と言う首のケガが、少し癒えた頃になりそうだ。 (文責・横森綾/フリーライター)