途中で何度も「もうダメです」と編集者に泣きごとを言って…時代小説の新星・高瀬乃一が創作秘話を語る
『貸本屋おせん』で鮮やかなデビューを飾り、一躍、時代小説界の期待の新鋭として注目を浴びた高瀬乃一。 その三作目にあたる『春のとなり』が刊行されることとなった。 藩の秘密に巻き込まれて命を喪った夫の仇を討つために、江戸にやってきた主人公の奈緒は、市井の人々の優しさに触れ、人生をやり直しても良いのではと思うようになるのだが――。 細やかな心情を描いた本作はどのように生まれたのか。その創作秘話について、著者にうかがった。
◆信州出身の主人公から薬屋を連想
――二〇二二年に『貸本屋おせん』でデビューされ、『春のとなり』は三作目になりますね。江戸は深川を舞台にした人情噺の趣がありますが、本書の執筆のきっかけは何でしょうか。 高瀬乃一(以下、高瀬) 担当編集者さんと打ち合わせをしていて、最初は深川の芸者がいいかなという話になったんです。 担当編集者 デビュー作を拝読して、高瀬さんは凜とした女性を描くのがお上手だと思ったので、辰巳芸者はどうかと提案したんです。 高瀬 でも私は深川にも辰巳芸者にも知識がなかったので、一から調べようと思っていたところ、この地で働く女の子は信州から来た者が多かったと知ったんです。私の両親が木曽の出身なので、それを絡めて、そこからどうしようという時に、なぜか薬屋の話が思い浮かびました。 ――物語は薬屋を営む訳あり親子、長浜文二郎と奈緒のもとに、薬や治療を求めてやってくる人々の姿を描く五編からなる連作短編集です。漢方の知識はどうやって? 高瀬 どの小説も、だいたい無知から始めるんです(笑)。今回の漢方も五苓散くらいしか知らなかった。とにかく資料を調べ尽くして、そこから主人公になりきって書きます。登場人物にしても大人から子ども、年齢、職業も違うとなるとその都度、「ああ、果てしない」と思いながら調べます。今回に関して言えば、なんで漢方に手を出したんだろうと(笑)。でも調べれば調べるほど話が湧いてくる。知らないことを知ったら、これを小説にしたらどうかとついつい考えてしまいます。私は本を速く読めるタイプではないのですが、資料だけはとてつもなく速く読めるんです。時代小説を書き始めてからそうなりました。 ――文二郎と奈緒は訳あり親子と言いましたが、実は舅と嫁で、信州・米坂藩から出奔して心に仇討ちを秘めていることが徐々にわかってきます。文二郎は元侍医で、目が見えなくなったという設定です。米坂藩は架空ですか。 高瀬 はい、そうです。もっと難しい藩名をつけたところ、「わかりやすいのないですか」と編集者に言われ、藤沢周平さんの海坂藩を参考にしました(笑)。信州にはいくつかの藩があるので、そのうちあまり知られていないところをモデルにして、土地は両親の故郷を想定しました。激しい雨が降ったりすると土石流が起きる土地柄で、それを地元の人たちが「抜ける」と言っていたんです。その抜けの話を幼い頃から聞いていたので、使ったらどうかなと思いました。