<ルックバック>AIでは表現できない線 人間が描く意味 押山清高監督インタビュー(2)
「僕自身の癖でもあるのですが、椅子に座り続けている人は、体を動かさないと体によくないし、長時間座っていられないと思うんです。集中していて、ゾーンに入っていたり、考え込んでいると、無意識に貧乏ゆすりをしている。背中だけで描いている姿を絵にすると、絵が止まってしまう。アニメーションは、監督が作り出す映像のリズムに縛られるものですし、見ている人の多くを飽きさせないように、画面に変化を付ける必要があるんです」
人間らしく、生っぽい動きも表現しようとした。何気ない動きにリアリティーがある。
「アニメーションであまりやらないレベルでリアリティーを追求しています。普通のアニメーションでは省略してしまうところをあえて見せることで、差別化して、目新しさを表現しようとしました。冒頭の長尺のカットもそうです。おなかをかいたり、肘を組み替えたり、体を伸ばしたりする。アニメーションではストーリーに影響しない無駄な情報だと思われるかもしれませんが、何気ない日常をしっかり描写しようとしました」
藤野が雨の中でスキップする名場面は、アニメならではの動きによってドラマチックに見える。
「本作の少ないアクションシーンの中で、アニメーションのダイナミズムを表現しようとしました。それまで内なる感情を表に出さなかった藤野が、人目をはばからず、体で感情を爆発させます。極めて絵描きらしいですね、人前では恥ずかしくて、率直な感情表現ができない。僕も周りの視線を意識する自意識過剰な部分がありますから」
◇わざと人間くさい線を残す
「ルックバック」はスタッフとして“原動画”というクレジットがある。原画はアニメのポイントとなる絵を描き、動画は原画を基に着彩しやすいように、線を拾い直すが、原画にそのまま色を塗った。線も独特に見える。
「わざと人間くさい線を残そうとしました。線には絵描きの気持ち、何か描こうとする意志のようなものが宿っています。トレースして機械的な線にすると、線の情報がなくなってしまう。線をダイレクトに画面で見せようとしました。ボソボソザワザワして見えるし、線がはみ出ているから手抜きに見えそうではあるのですが、この作品だったら納得してもらえるかもしれない。本来は、色を塗る時に、汚れ線や下描き線を消してしまいますが、基本的に残しています。体の裏側にある下描き線もあえて残しているのは、かなり特殊だと思いますが、意識的にやったことです。人間が絵を描くために、必要だから描く線で、それを消してしまうのはもったいない。機械的なトレースと違って、原画の線は情報量が多くなります。線の汚さを指摘されることがなくて、安心しました」