阪神移籍も指揮官から“酷評”された捕手は? 巨人以外のFA選手で“大失敗”となった選手たち
「全員がライバルだと思う」と正捕手を目指した1年目は、11年に楽天からFA移籍してきた藤井彰人と併用で、19試合先発マスクを任されたが、7月6日の広島戦で守備中に左太ももを痛め、無念のリタイア。翌14年もDeNAから移籍の鶴岡一成や新人・梅野隆太郎に出番を奪われ、出場2試合に終わると、「プロである以上、1軍の戦力にならないと」と潮時を悟り、19年間の現役生活に終止符を打った。次々に他球団からベテラン捕手を獲得する一貫性のない補強の割りを食った感もある。 “日本一の捕手”の実績を売りに、正捕手不在のチームに迎えられながら、結果を出すことができなかったのが、大野奨太だ。 日本ハム時代の13年にリーグトップの盗塁阻止率.421をマークし、強肩、堅守の捕手としてならした大野は、選手会長や主将も務め、16年には7月8日のロッテ戦で2打席連続本塁打を放つなど、攻守にわたってチームの日本一に貢献。翌17年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表にも選ばれた。 だが、シーズン開幕後は、若手・清水優心の抜擢で出番が減り、右肘痛の影響で盗塁阻止率も.098と不振を極めた。 シーズン後、右肘手術を受け、心機一転リハビリを開始した大野は「素直に他の球団の話を聞きたい」とシーズン中に取得した海外FA権を行使。残留を望む日本ハムはFA残留も認めたが、大野の地元球団・中日も獲得に動き、2億5000万円の3年契約(その後、4年契約だったことが判明)で移籍が決まる。 谷繁元信引退後、後継候補の松井雅人、杉山翔大が伸び悩んでいた中日は、小笠原慎之介、柳裕也らの若手投手陣と後継捕手の育成を同時に行うと、共倒れになりかねないことを懸念。すでにシーズン中から文句なしの実績を持つ大野にターゲットを定めていた。 「高く評価していただき、感謝の気持ちで一杯です。新しく挑戦するという気持ちで、前を向いていける」と新天地での飛躍を誓った大野だったが、移籍後も肘痛に悩まされ、1年目は先発マスク50試合にとどまる。