元世界陸上代表・絹川愛がコスプレイヤーになるまで「アニメが支えた現役時代と母がくれた言葉」
アニメ、漫画が支えてくれた
――お母さんとの約束が糧になって走り続けられたんですね。実際、辞めたいなと思った瞬間はありましたか? 絹川さん それこそアキレス腱を手術したり、歩けないぐらいの怪我が付きまとっていました。本当にうまくいかないときは、やめたいし、消えてなくなりたいと思うことも多かったです。 ――何をバネにして立ち上がれたんでしょうか。 絹川さん それこそアニメ、漫画が支えてくれていました。『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴による漫画)や『僕のヒーローアカデミア』(堀越耕平による漫画)を読んで主人公や、仲間たちが窮地に立たされるような場面で自分とリンクするんです。「めっちゃ炭治郎(『鬼滅の刃』の主人公)の気持ちわかるわ!自分は頑張ることしかできないんだよな」と共感して、元気をもらうんですよね。日本選手権3位になった時の試合直前も『弱虫ペダル』(渡辺航による漫画)の新刊が出たので、大阪に着いてからアニメイトに買いに行き、読んで泣いて試合に行きました。韓国での世界陸上にたくさん漫画を持っていって、部屋でずっと読んでいたので、それが力になりましたね。 ――アニメや漫画の力はすごいですね。オリンピックの直前も怪我や体調不良で走れないこともありましたが、どういう気持ちで過ごしましたか? 絹川さん チャンスを逃して4年後もう1度目指すとなると、4歳年を取っているんですよね。人生の中でオリンピックにチャレンジできる回数ってどの選手も決まっていると思うんです。その貴重なチャンスを1回なくしてしまったのは、相当な精神的ダメージがありました。世界選手権の日本代表には2回なっているけれど、オリンピアンにはなれてなくて。その肩書き、経験は積みたかったなと今でも思います。 ――オリンピックへの想いは人一倍強かったと。 絹川さん 高校生から世界を目指していたので、思い入れや憧れというのは人一倍強かった気がしますね。 ――陸上から離れようと思ったのはなぜですか? 絹川さん 怪我ですね。今もそうなんですけど、左足のアキレス腱を手術した影響で、右足と左足の筋肉の大きさが全然違うんです、本当に倍ぐらい。その差が埋まらなくて、手術する前の完全な状態に戻れないと思ったんです。過去の自分がピークで、その自分に近づけたとしても越えられないんだったら、結局オリンピックに行けないな、という現実が見えてしまったのが一番かな。 ――すごく苦しい決断でしたね。 絹川さん 中学生から10年近く陸上しかやってこなかったし、その世界しか知らなかったから、次の仕事どころか履歴書を書いたことすらなかったんです。コーチや監督、会社の人が遠征先のホテルの予約も新幹線の切符も準備してくれていたので、買い方がわからないぐらいでした。