元世界陸上代表・絹川愛がコスプレイヤーになるまで「アニメが支えた現役時代と母がくれた言葉」
仙台育英高校時代に大阪世界陸上1万mの代表に選ばれ、「平成生まれ初の日本代表」となった若き天才ランナー・絹川愛さん。2017年に現役を引退した後、2024年5月に現役復帰と同時にコスプレイヤー・蓮弥として活動していることを発表した。絹川さんは幼い頃からオタクで、走る前はアニソンを聴いたり、漫画を読んで気持ちを高めていたりしたそう。陸上競技選手の絹川愛として、コスプレイヤーの蓮弥として、両面から話を聞いた。(前後編の前編) 【写真】“蓮弥”として活動、絹川愛さんのコスプレカット、ほか撮り下ろし【16点】 ――まずは子供時代のお話からお聞きしたいのですが、どんな子供でしたか? 絹川さん 変身願望を持っていました。例えばセーラームーンの衣装を着たり、ディズニーランドに行くときにはプリンセスの格好をしたり。違う自分になるのがすごく好きでしたね。 ――陸上選手になろうと思ったきっかけを教えてください。 絹川さん 走ることが好きなのではなく、足が速かったので、それを活かしたいと思って中学生で陸上部に入部したのがキッカケですね。最初は短距離選手をやっていたんですけど、短距離選手の枠を周りの部員に取られていきまして、一番人気のない長距離にねじ込まれたんです。「もうこれしかないか、嫌だな」と思いながら走ったら、全国2位になってしまったんですよ。「あれ、才能こっちだった!?」と驚きました。そのときに出会った仙台育英高校の監督さんに声をかけていただいて、群馬から仙台に県外留学をしたんです。 ――長距離走は自分との戦いですよね。苦しくなかったですか? 絹川さん コスプレも似ていると思っていて、レイヤーさんがよくSNSで「こんなにお金もかかって時間もかかって大変な趣味なのにやっぱり楽しい」って言っているのを拝見します。それと一緒で、陸上も本当に苦しいし、何かと制限をされることも多いけど、走り切ったときは楽しい! という気持ちになれるんですよね。当時からすごくオタクだったので、練習のときはずっとアニソンとかドラマCDとか聴いて走っていました。 ――当時からずっと陸上競技をやっていたと思うんですが、周りの友達と遊びたいとはならなかったですか? 絹川さん 放課後になるとみんなが私服に着替えて街に遊びに行くのは、すごく羨ましかったです。だけど、私にしかできないことってなると、陸上かなと。当時できなかったことは、陸上を引退した後にやればいい。今やるべきことは、陸上の成績を伸ばすことだとずっと思っていました。 ――高校生にしてもうプロの意識ですね。 絹川さん 私の家庭は母1人、子1人のいわゆる母子家庭でした。なのに、高校進学のタイミングで家を出て、お母さんを1人寂しい思いもさせるしすごく申し訳ないなと。だから進学前に「やっぱり地元に残ろうか」って母親に相談したんです。そしたら「県大会、全国大会、世界大会と、あなたが試合に出れば出るほど、会える機会が増えるよね、だってお母さんは絶対に応援に行くから。そうやってお母さんと、たくさん会う時間を作って」と言って送り出してくれました。